【蓮行流◯◯道場#11「蓮行流劇団経営道場その5『プロではない、とすると?』」】

蓮行であります。

今回は逆のアプローチで、「プロではない演劇人とは何か?」という事を考えてみたいと思います。

私の知る限りでは、多くの小劇場演劇の演劇人は、アルバイトやその他の仕事で生計を立てながら、公演活動を行なっています。そして、公演活動は概ね赤字で、つまり持ち出しでやっています。この「赤字」の定義は若干くせ者なのですが、「持ち出し」が無く、かかったお金よりチケットの売り上げ等で入って来たお金の方が大きいからといって、「黒字」とは言えません。まあ「黒字」と言ってもいいのですが、少なくとも「生産」したとは言えません。演劇で考えず、トマトで考えるとわかりやすいです。

家庭菜園でトマトを作っても、それは「生産」とは呼びません。成果物が生まれるかどうかと、社会的な意味での「生産」は関係がありません。家庭菜園は紛れも無い「消費」であり、「趣味」です。このトマトを何かの方法で売ってお金を得たとしても、それに投じた「時間分の人件費」を回収することは不可能です。(これを詳しく論じると、農業論になってしまいますが、異論のある人はほとんど居ないと思います。)この、トマトの例えを、再び演劇に引き戻すのはさほど難しくありません。

つまり「プロではない演劇人の演劇活動」、つまりアルバイトで生計を立てながら赤字で公演をしているということは、フリーターが「演劇」というすごくお金と手間と時間のかかる「趣味」に興じているということになります。「生産」を伴わないので、「労働」ではありません。「趣味ではなく、投資だ!」と言われそうですが、回収の見込みのないものを投資とは呼べません。この「回収の見込み」が「ほとんど無い」事については、いずれ書いてみようと思っています。

私は「ソフト左翼」を名乗ってるくらいなので、「生産と労働」を大切にします。私は演劇を「労働」として捉え、「生産」したいのです。もちろん、芸術活動は「生産」でも「労働」でもない!という考え方もあると思います。しかし、そういう考え方をするなら、「プロを目指す」というスタンスもあり得ないと思います。プロとは「労働して生産」するものに他なりませんので。

もうこれでもか、と理念の話をしたので、次こそは少し数字に触れられれば、と今は思っているところです。次回に原稿に向かうとき、何考えるかはわかりませんが…。