黒木陽子の「私はこんな海外ドラマを見てきた」
vol.32 ジェンダーロールの話

今回は、前回に引き続きこれ!

『アンという名の少女』
赤毛のアンです。年齢設定が2,3歳上に。
19世紀末(1877年らしいです。Wikipediaによると)カナダのプリンスエドワード島で農業を営むカスバートさんちは5、60代の兄と妹の二人暮らし。兄の健康も心配だし、農作業を手伝ってもらおうと孤児院から男のをもらうはずが、手違いで女の子がやってくる。それが。アン。アン(Ann)じゃなくてeのつく方のアン(Anne)13歳。
(2017-カナダCBC,2018-Netflix/カナダ)

私、なんとなく「赤毛のアン」って、自分が小学生〜10代の頃はピンとこなかったんです。
なんか、よくわからなかったのですよ。それよりも「ナルニア国物語」にドキドキしたし、「おちゃめなふたご」シリーズのイギリスの寮生活みたいなものに憧れたり。
本が好きで夢見がちなアンが友達と地味にうまくいかなかったり友情を育んだり…そうこうしていくうちに、家のお手伝いをして大人になっていく…というのが、地味であまりにも普通に思えて、夢を見たい時期には地味すぎたんだと思うんですよね。

そんな私のようなみなさんも、大人になった今なら、きっと!赤毛のアンを楽しめるはずです。

19世紀のカナダの普通の田舎の生活に心をときめかせ、「こんな風にシンプルに複雑に暮らしていきたい」と思うはず。そして、「想像力」と「現実の生活」との摩擦だったり、そんなものがとてもキラキラして見えるはず!

で、このドラマ版ですが…
元の【「男の子が欲しかったのにやってきたのは女の子」というところから「女の子でよかった!」】という話から一歩進んで、現代的な「固定観念に捕らわれたジェンダーあるいはいろんなモデルへ抵抗」のという視点で描かれているように思います。

もともと「子どもには(男でも女でも)ちゃんと学校に行かせる」という感じだったんですが、このドラマではアンがちゃんと学校に行かせてもらえていることに加えて「進歩的な母親の会」とか、「アクティブラーニングを実践する・コルセットを絞めない新しい女性の先生(自転車乗り)」も出てきます。女性のパートナーがいたおばさまも出てくるし。

「ちょっと、出しすぎじゃない・・・? 保守的なアンのファンからなんか言われないんですか?」と、私なんかハラハラするんですが、そこは売れている海外ドラマ。ちょっと鼻につくくらいで、普通に面白いです。
面白いドラマは「40代以上の恋」が出てくるというのが私の自説なんですけど、マリラの初恋とか、村の中で独身女性でいるマリラの疎外感とか、でも10人子どもを産んだレイチェルとの友情とかが描かれておりまして。見ていて「マリラ…気持ちわかるわ〜あんた偉い!」と言いたくなりますよ。

ただその一方で、気になるのは、女の子たちがキラキラしているのに対して、子ども時代を奪われているのがことごとく男の子たちだということ。
「にんじん!」で皆さんご存知のギルバートなんて、本当に切ないです。このドラマでは、ギルバートはお父さんを亡くして、その後独立して大人になってしまうのですよ…。あとグリーンゲーブルスに農作業のアルバイトをしに来ているジェリーなんてアンより年下なのに学校に行けないし。

今、シーズン2が終わったところですが、シーズン3以降その男の子たちがどうなって行くのか、ちょっと楽しみでもあります。