黒木陽子の「私はこんな海外ドラマを見てきた」
vol.27 大人の役割とは

高畑勲監督がお亡くなりになられましたね…
『かぐや姫の物語』に感動し、さりとてそれから追うようなことはせず、『ハイジ』いいよねー、程度だったんですけれども。
そういや見てないなーと思いまして、見てみました!

そんなわけで、今回は海外ドラマではなくて、これ!


↑やる気のない絵。最近なんで絵を描いてるんかわからなくなってきました。

『赤毛のアン』
19世紀末のカナダ。マリラとマシュウの年老いた(50代くらい)兄妹は、孤児院から男の子を引き取り、教育といい環境を与えて育てて自分たちをゆくゆくは助けてもらおうとする。しかし、やってきたのは空想力豊かなおしゃべりな11歳の女の子、アンだった。二人は戸惑いながらも、なんやかんやあってアンを引き取ることになる。そのアンが16歳になり教員として就職するまでを描く。
(1979年 フジテレビ)


な、なんというええ話や・・・。

仕事で小学生から大学生までと接する機会がありまして、11歳くらいのキラキラして「え?ちょっと何言ってるかよくわからんねんけど!」という突拍子も無い様子、そして15歳ぐらいでグッと大人になって悩んだり考えたりしている様子、そうした姿を投影したりして、ほんまによう描けているアニメやなと思います。
まあ、上の学校に行っての成長ぶりが「ちょっと大人になりすぎと違う?」って思うんですけどね。まあ、子どもが早く自立することを求められた昔の話ですからそれは差し引きまして。
これを子ども時代〜思春期に見ていたら、きっと私はもっと親孝行を心がける人間になっていたように思います・・・。(しないかな。どうだろうか)

子ども時代のアンが、女の子女の子してなくて、男の子の主人公の文法で描かれていて、爽快です。
宮崎駿さんは「女の子のことはわからん!」って投げ出したという話を聞いたことがあるのですが、その、男の子とも変わらないアンが女性になるまでを描いた高畑監督、これに付き合ったからこそ『かぐや姫の物語』を描けたんじゃないかなって思います。ってそれはちょっと乱暴か。へへ。(アニメファンの方、すみません。)

高畑監督の追悼はこのくらいにしておいて。(このくらいですませるのかよ!)
私が書きたいのはここからなのだった!見ていてびっくりしたんです。

まさか、マリラにこんなに感情移入するとは・・・!!!

未婚のまま50代を迎え、急に11歳の女の子を迎え入れることになった女性の気持ち・・・

「私のことはコーデリアと呼んでください。本当はアンだけど」
って言われた時の返し方とか、もう最高です。
「ふん、バカバカしい」
って感じで。
でも、そのあとマリラはこう言うんですよ
「アンって名前はわかりやすいちゃんとしたいい名前だよ」
普通に。

あと、ぶっきらぼうで、おしゃれな服とか「必要ない」って買ってくれないんだけれども、理不尽な叱り方はしないのよ。罰を与えた後に、それが自分の過失だって気づいたらちゃんと謝るし。アンにひどい接し方をする人に対してはちゃんと戦いを挑んだり、必要なフォローをするし。
そして、アンの背が自分と並んだと気づいた時の切ない顔・・・。旅立つ時の涙・・・。
「女のみなしごなんて嫌いです!」って言ってたのに・・・。

マリラ・・・好きだ・・・。

子どもの頃、本で読んだ時は「なんで袖の膨らんだ服を買ってやらないんだ。わかってないな〜」ってふんわり思っていましたけれどもね。ちゃんと教育を受けさせて、理解できないことには「くだらないね」と言うけど、子どもが本当に大切に思っていることは尊重してやり、大きくなって旅立つ時にはそれを受け入れる。ちゃんとした大人やな〜。

大人の役目って、子どもに子ども時代を与えることなのかもしれないなーって、見てたら思います。
大人の皆さん、マシューとマリラ目線でぜひ赤毛のアンを見てみてください。
お子さんがいらっしゃる方は「こんないい子いないよ…」って毒づきそうな気もしますが。



あ、あとOPとEDの三善晃の曲は最高です。それはだいぶん前から知っていて、私、自分のお葬式では「きこえるかしら」を流して欲しいと思っています。iTunesになんで原曲置いてないんや(置いてあるのは再録音してあるものなので、あの壮大なオーケストラ版じゃないのだ。私のお葬式では、アニメで流れているやつを流して欲しいんです。ってここで言ってもあれなんですが、どなたか覚えていてください)。