『あなたの知らない三国志の世界』
 第十二回「ユニット美人の三国志とはいったい何だったのか5」

 2013年の5月〜11月にかけて半年かけてやったユニット美人の三国志vol.0〜4。

 この連載では、せっかく半年かけて作ったんだからそのままにしておくのはもったいない。という省エネ精神から、作品について語っていこうと思います。自分で自分の作品解説なんて、どうなんだい、それなら芝居にするなよ…というようなことを書いていきますので、そういうのが嫌な人は読まない方が良いがと思います。

その5:嫌われR布の一生
○若さと暴力
 今回のシリーズで最初に配役から決めてオファーをかけたのは呂布役の小林由実さんでした。衛星のコックピットで共演して、彼女の若さとスタイルの良さ(あと、性格の良さもね)に何度も私は感心し、「あ、呂布だな」と思ったのです。呂布の「強さ」を今の私の価値観におきかえると、「若い美しさ」でした。
 「若い美しさ」はとっても暴力的。
 20代の頃は「若さ」なんてちっとも羨ましくなかった。いくら若くても、モテなければ、キラキラ生きていなければ意味が無い。27歳の楽しく生きている今の自分と、17歳の頃のもっさく生きていた若い自分だったらば、ぜったい今の方が幸せ!と思っていたからです。年をとる、というより年を重ねる!のが楽しみなくらいでした。
 ところが。三十路も半ばにさしかかり、いろんな部分に年齢を感じ始めるようになり、あと15年で50歳かと思うようになると・・・途端に若さが羨ましくなりはじめました。「過去の自分を見ているようだ…」というあまりキラキラ派ではない若者も、10代だというだけでもう、光輝いてみえるのです。どんな努力も教養もかなわないことがあるのだと思い知らされること。それが「若い美しさ」であり、とってもそれは暴力的だと思うのです。

 そんな、「若い美しさ」をいくつになっても振りまき続ける存在・・・。それが、ユニット美人の三国志で描かれた呂布です。
 (以下呂布と書いてあるのは基本、ユニット美人の三国志の呂布のことです。)

○若くて美しいだけでいいのか
 呂布は、ただ若くて美しいだけで、元来の嘘つきだし話も面白く無ければ信念もありません。取り巻きはいるけれど、友達もいません。唯一馬の赤兎馬だけが呂布と一緒に走れるのだけれども、悲しいかな動物なので良い飼い主が現れればそちらへあっさり鞍替え(?)してしまう。
 呂布は、たぶん「誰か」にすごく強い自分のことを「すごい」と言ってほしいだけなのです。その「誰か」がよくわからず、「誰か」を求めて走り続ける。ふつうの人ならば走り続けているうちに、「誰か」なんてどこにもいないことに気がついたり、自分より「強い」人に出会ったりして修正を加えられたりするけれども、もし、ものすごく「強い」人だったら・・・。「誰か」を求めて走り続けるだけの根拠が衰えなかったら・・・。
 自分を認めてくれない養母の丁原を殺した後、呂布は自分の強さを自由に行使できるようになりますが、それは終わりの無い旅の始まりなのです。

 ところで、強いだけではどうして私たちは満足しないのでしょうか。

 陳宮「なんだかんだ言って、みんな飛び抜けたものが好きやねんよ。中途半端が一番あかん。好き勝手やらしたったらええと思うで。曹操はその点、やっぱり中途半端やねんよねー。すごい悪役が途中で仲間になって、いいやつになる、みたいながっかり感があるわ。」

 と、曹操を裏切り、途中で呂布の参謀になる陳宮にそんなセリフを書きましたが、ここが私が陳宮が好きなところ。ユニット美人の三国志では描ききれなかったのですが、本家『三国志』では陳宮は、謀反をおこして取っ捕まった曹操を牢屋から逃がして行動を一緒にしたものの、その極悪非道ぶりから「おれは大変な人物を世に放ってしまったのかもしれない・・・」と、後悔し寝ているところを殺そうとするのです。でも、こういう人が今の中国には必要なのかもしれないと思い直して結局殺さず、その後も一緒に行動します。が、ここからはお芝居でも描いたとおり、途中で裏切って呂布を曹操の城に招き入れようとするのです。陳宮を動かしているのは、「自分には想像のつかない世界がある」という確信でしょう。陳宮にとって「強い」というだけでそれは何かしらの「正義」や「美学」を感じていたのだと思います。

 しかし、おそらく多くの人はそうではないと思います。美しいだけのモデルさんも話す内容がアホ丸出しだと一気にがっかりするし、スポーツ選手なんかだと、わかりやすく「品格」だのなんだのを求められます。たとえ品はなくても「哲学」を求められます。スポーツとは関係のない行動や発言でバッシングにあいますよね。

 主人公の粥見も、最終的に「謙虚さ」も「品格」も「美学」も無い、ただ「強い」だけの呂布が耐えられなくなり、お説教します(とんでもなく強いから失敗するけど)。そして、重要な局面で呂布を見捨ててしまうのです。(ここで見捨てたことが、後々彼女を動かすことになるのですが、それは次回に。)

○羽飾り
 さて。呂布がずっと頭につけていた羽飾りは呂布の重要なキーアイテムとして描きました。「死んだ母親の形見」とか「初めての彼氏にもらった」とか、その場その場で適当なことを言っているくせに、「ださい」と言われるとキレて相手を殺してしまう。
 細かい設定までは決めていませんが、この羽飾りは特別な由来のあるものではありません。通販でなんとなく気に入って買った、とか、同僚の結婚式の引き出物のカタログでもらったとか、古着屋さんで目について買った、とか、そういう形で手に入れたものです。特に由来がないから適当な由来をつけて話すのです。
 ただ、ものすごく気に入って執着している。たぶんその理由は、「だれもつけていないから」。だれもつけていないのは、董卓の「今時、そんなんだれもつけてへんし」というセリフからもわかるように、流行遅れだからなだけなのですが。
 呂布は、抑圧された養母との生活の中で、その羽飾りをつけることだけがささやかな「自由」だった。ださくても変てこでも、呂布にとって羽は「自由」の象徴なのです。
 呂布は、羽飾りをつけた自分をそのまま、自由なそのままの自分を「誰か」に「すごい」と言われたかったのです。永遠に。

 しかしこの羽飾りは頭を下げると、ふぁさふぁさっと相手の顔にあたって、めちゃくちゃ不快にさせる代物。それと同じように、呂布の「強さ」も、きっと受け入れられ難いのだと思います。

 もちろん、私は「呂布みたいな人間を受け入れるべきだ!」と言っているわけでも、「呂布みたいなヤツって嫌だよね!」と言っているわけでもないです。願わくば、すごいものはすごいと言ってあげられる器を持ちたいし、すごいものを見たい。そう思っています。

 次回は、いよいよ長編。vol.3『あの壁を壊すのはあなた』について書きます。