『あなたの知らない三国志の世界』 第四回「ユニット美人の三国志とはいったい何だったのか1」 ユニット美人の三国志vol.0〜4まで終了いたしました。 ご来場、まことにありがとうございました。観にいけなかったけど応援していたよ!という皆様も、ありがとうございます。 以下、作品について語っていこうと思うのですが、ネタバレやら、自分で自分の作品解説なんて、どうなんだい、それなら芝居にするなよ…というようなことを書いていきますので、そういうのが嫌な人は読まない方が良いかと思います。 *** その1:「『この男』は劉禅」 ○呂布しかいなかった。 『三国志』をやることが決まり、一通り読んでみて、まず「これは困ったな…」と、思いました。漫画としてはとても面白いんだけれども、「この人を軸に描いたら面白そうだな」と感じられた人物が呂布しかいなかったからです。 自分の養父を殺して、時の権力者に従い、その権力者も殺す。物凄く強いくせに、どこか自信が無い雰囲気。知名度もある。 しかし、呂布は三国志の序盤ですぐ死んでしまうし、何よりあんまり「三国」と関係が無い。「ユニット美人の三国志」と、銘打つからには呂布は主人公では無いだろうと思いました。 とすると、誰を軸におくのか? なんか嫌だけど、母とのシーンが面白い三国志の主人公といえば…の劉備? これまたなんか嫌だけれども、諸葛孔明? 関羽は好きだけれど、もっと好きな人が世間には多いだろうしなぁ… と、いろいろ考えているうちに、そもそも「なぜ私は劉備と孔明があまり好きではないのか?」という疑問にぶつかりました。 ○なぜ私は劉備があんまり好きではないのか 劉備たちが掲げる「漢王室の復興」といううさんくささは、時代ものなんでまぁ目をつぶるとして、私が劉備に不信感を抱いたのは、とあるエピソードが元です。 長坂の戦い(vol.1,4で出しました!)にて、戦場ではぐれた幼子を趙雲が見つけ、敵陣の中を走り抜け、劉備に届けるのだけれども、劉備は「この子をわしの目の届かないところにやれ!」って、その幼子をバスケのパスのように放り投げるのです。「子どもならいつでも生めるけど、おまえみたいな優秀な部下はおらん!命かけさせてごめん!」と、言いながら。 ひどい。 ひどくないですか? 劉備の部下思いの名シーンだということはわかっていますし(現に紙本さんは、このシーンで趙雲の気持ちになって涙ぐんだらしい)、漢王朝の始祖の劉邦にも妻子を見捨てて自分だけスタコラサッサと逃げたエピソードがあるように、現代の子どもに対する価値観と当時のそれとでは大きな違いがあるのだろうなあ、と、頭では理解できます。 けれども「私が子どもやったら絶対グレるわ」「私が母親やったら第二子とか、もうこりごり」と、思わずにはいられなかったのです。 何より「結局、天下とったわけでもないし…。」というのが一番の理由かもしれません。三国を統一するのは、魏の臣下として着々と子を育て教育していた司馬氏なのです。 ○「劉禅」を救え! と、なぜ自分が劉備がキライなのか息巻いて(悪口はすぐ浮かぶ)いるうちに、それならば、一番もやもやするシーンを軸にこのシリーズを組み立ててみたらどうか、と、考え直しました。 「この男を命をかけて救え」と言われた主人公が「この男」を探す。それは「劉禅」で、主人公は糜夫人で、井戸から身を投げるシーン以外はほとんど出てこない地味な役回り。 これを思いついた時、これは良い!私、こういう話好きだ!と、とても嬉しくなりました。嫌いなものの方が燃えるという奇特な人もいらっしゃるでしょうが、好きこそものの上手なれ、の言葉どおりの方がほとんどではないでしょうか。私もそうです。好きになることが仕事を上手いことやるためのコツだとさえ思っています。好きじゃないものと、半年付き合わなきゃいけないなんて苦しすぎる。 でも、好きなストーリーができた。 これさえできれば、あとは書くだけだ! と、そのころまでは思っていたのでした。そう、このころまでは。 (つづく) |
|