黒木陽子の『エレキテルと私』じゃなかった『住まなくても都』番外編その19です。

劇団衛星3年ぶりの新作『サードハンド』公演日程終了しました。
ご来場いただいた皆様、ご協力いただいた皆様、こっそり応援して下さった皆様、まことにありがとうございました。

さて。

今回は「電気って必要なのか?」ということについて考えたい。

必要に決まっている。
果たしてそうだろうか?
皆さんは、電気の無い部屋で生活をしたことがあるだろうか?

私はある。

電気代を銀行引き落としにせず、払い込み票で払っていたとき、
そしてとてもお金がなかった時代、
けっこうちょくちょく私は電気を停められていた。
(三ヶ月滞納すると電気は停まります)

停められる→あわててコンビニで振り込む→次の日復旧

ということを何度か繰り返していた。

そんなある日。夜遅く出張から帰ってきたら電気が停まっており、
振り込もうにも現金が手元に無かった。
まあ、そういうことは過去にもあったので、その日は余裕で無電で夜を過ごし、
次の日も一日忙しい日だったが、コンビニでなんとか振込だけすませ、そのまま自宅に戻った。

「冷凍庫の掃除しないとな…」そんなのんきなことを思って家の扉を開けたのだが…
部屋に入った途端感じるイヤな感じ。
電気が止まっている時特有のシーンとした感じ。

そう、電気は復旧していなかったのだ。

どうして?振り込んだじゃないか!お客様センターはもう閉まっている時間だし、どうしろって言うんだい!

督促状を月明かりじゃなくて外の街灯の明かりに照らしてよくよく読んでみると、「復旧するには、振り込んだ後電話しろ」との説明書きが。

「・・・そっちがその気ならな、こっちだってな、電気なんか無くったって生きていけるんだよ!」
と、なぜか関西電力を逆恨みし、二日くらい電気無しで過ごした。
(というかお客様センターが空いている時間に電話できないくらいなんか忙しかった)
そしてわかった。

<自宅に電気が無くて困ること>
 ・お湯が出ない。冷たいシャワーは、真夏以外では結構辛いということを知った。
 ・冷凍庫の物が溶けてイヤな感じになる。

今思い返すと、生活で困るのは、はっきり言ってこの2点だけだ。
食べ物はコンビニで温めてもらえるし、一人暮らしで勤め先があって仕事しかやることがない人間は、
はっきり言って自宅に電気なんて(さほど)いらないのだ!
(洗濯機は無い。コインランドリーだ。そしてガスコンロはカセットコンロなのだ)

そして、その時痛烈に電気さえあれば…!と思ったことは以下のことだ。

<自宅に電気があれば嬉しいこと>
 ・テレビやDVDが見られる
 ・携帯の充電ができる
 ・夜、本が読める
 ・ドライヤーが使える
 ・ネットサーフィンで時間がつぶせる
 ・ごはんが炊ける

つまり、文化的生活とよばれるあれやこれやは電気が支えているのだった…。

そして、私は二日経って、ノー文化的生活に耐えられず、結局は「ふん!まあ、払ってやるよ!」と悪態つきながら電話したのだが。
というより、まあ、お客様センターが空いている時間以外でも緊急連絡先が24時間態勢で電話受付していることを知ったからなんだが。

でも、電気必要と洗脳されてはいないか?
とも、ちょっと思ったし、今もちょっと思う。
電気中毒。電気依存症。
(そして、これをネットにアップしたことで、命を狙われたりしないか?とか馬鹿なことを思っている)

まあ、家族(子どもやお年寄り)がいる人や病気の人、冬や自宅が仕事場の人、仕事が人生じゃない人は、電気必要だね!とも思うけれど。

私はそういう人間ではないので、今年の夏は一度、冷蔵庫以外のブレーカーを落として、
真っ暗闇の中、ノー電気で過ごす日を作ってもいいかな、と思っている。

そして私は今、そんな原稿を自宅で、コンセントにつないだパソコンで書いている。