『黒木陽子の
住まなくても都』

住めば都、とは申しますが、
住まなくったってきっと都。

インターネットを駆使して、
47都道府県、住んだ気になってみます!

【第38回 しましまの福島〜後編】

今回、一度目の物件探しは、
時期が悪かった(4月の初め)のか、
あまりいい住まいがなかった。
というか地方都市のくせになんでこんなに
高いんだよ!てな感じだった。

駅から遠かったり、高かったり…。

二度目に探したときには、2DKで3.5万円という好条件物件がごろごろしていて、やはり時期のせいだったようなのだが。

一度目に無かったとき「ひょっとして避難されてる方が住まれているから?」と思ったのだ。

・・・。

私が言うまでもなく、この連載を始めたころと今とでは
「福島に住む」ことに大きな意味ができてしまった。

福島は広い。北海道、岩手についで3番目に大きな県で、
京都府の三倍もあるのかー。
喜多方に行ったことあるけど、山手の方からのぞんだ平野の風景がステキやったなー。
へー源融の歌の「しのぶもぢずり」って福島かー。
まあ、相変わらず日本はどこも一緒だよ。普通の地方都市です。

とか、そんなのんきな記事だけで終わらせられなくなってしまった。
この連載、日本の「どこも同じ感」、「違いを見つける自分の能力の無さ」に疲れていたのだけれど、こんな格差は望んでいない。

やりきれない。

この感じは17年前の震災の時と同じだ。
私は被害の軽い地域に住んでいて、
高校は火災のひどかった長田区にあった。
うちの周りは普通の日常が繰り広げられているのに、
数週間で復旧した電車で最寄り駅から一駅はなれた駅で降りて、
学校へ向かう道のりは焼け野原。

この差はなんなんだろうと思った。

だけれども、整理しないまま大人になって、
遠く離れた災害や事件や内戦やテロや戦争や虐殺やそういうものに触れる機会がある度に
「またこれだ」と思い、やっぱり整理できず、
なんとなく自分が大量消費をして快適に過ごしていることに罪悪感を抱えていればいいのかな?
と思ってやり過ごしてきた。

そして、今もまた私は安全なところにいる。

さらにやりきれないことに、17年前と違って、
はっきりと加害者がいるのだ。

そしてそれが自分だと言うことだ。

私は原発でご飯食べさせてもらってきたんだ。
そんな私が、もう、どんな顔をして福島に住んだらいいのか。

本当は京都でのんきに暮らしているだけじゃないか。

ただ当事者として思い、願うのは、
原発を稼働させているのは、お金じゃないんじゃないかと思う。
(実際にすごくコストかかってるやん)

あれを動かしているのは、多分、誰かの夢や希望や誇りやそういうものだと思う。
他人の夢を奪うにはどうしたらいいのか。

それも目にしてきた。

お金の問題だったり、周りが就職したり、家族や自分が病気になったり、
思うような作品が作れなくなったり、やり尽して気がすんだり、新しい夢や家族ができたり、
そういうことだ。

否定されて反対されてやめる人はあんまりいない。

自分にそういう力、他人の夢を奪う力があることを願う。