紙の本のススメ! 第15回


今日はちょっと真面目です。
私のただの告白ですが、おつきあいいただければ嬉しいです。

私にとっての「勉強」とは、目的ありきのものであって、外的なモチベーションによってのみ取り組む行為でした。

学校が好きだけど、行く為には、授業を受けないといけないから。
テストをクリアするため。
試験に合格するため。
親を安心させるため。
先生に怒られないため。
友達となんとなく合わせていくため。

大学を卒業すると、そういった目的や目標がなくなるので、自ずと勉強から遠ざかるわけです。
ところが、社会人になると、子どもの頃よりも、勉強に興味が湧いてくるんですよね。
が、しかし、

「何のためのその勉強をするのか?」

と、考えてしまう。
ちょっと湧いた興味を

「目的はなんだ?」と元に戻そうとしてしまう。

「仕事の役に立つのか?」
「お金になるのか?」
「演劇のネタになるか?」
「今更、専門職につくわけでもないし。」
「勉強したところで、どうなる?」
「そもそも、時間ないし。」

という気持ちの流れをつくり、興味を押さえていました。


ところが、なんか最近ちっともワクワクしないのです。
色々なことに取り組むことでごまかしていました。
保存食にはまってみたり、創作をしたり、まちづくりに参加したり、たくさんの映画を観たり。
そのこと自体は充足感もあり、肥やしにもなり、人のつながりも大切なものにはかわりないのだけれど、自分のことが面白くない、、、。
はっ、自分が面白くない!
なに?自分が面白くないってなに?
飽きた? 私に飽きちゃったの、、、私、自分に飽きている!!
ごめん、もう、好きじゃないんだ。別れよう。

そんな気持ちでした。
私、私のこと好きやったのに、いつからこんな気持ちになっちゃったの?
もう一回、好きになりたい!
「求めなさい。そうすれば、与えらえる。」

私はキリスト教信者ではないのですが、まさにそんな感じでした。
そこで、自分を愛する気持ちを求めていた時(なんかきもい)に出会ったのがこちらの本。

「勉強の哲学 -来るべきバカのために-」/千葉雅也(文芸春秋)



哲学者の千葉さんによる「勉強とはどういうことか?」という根本的な問いを軸に展開する勉強論。
勉強することが人生において良い!という本ではないのです。
今の生活の流れ、ノリが心地よく楽しいのであれば勉強する必要ない。楽しく生きることが一番だから。

深く勉強することは、ノリが悪くなることである。
今までのノリに乗っていけなくなること、新しいノリに変化してしまうこと。だそうです。

この「ノリ」がすごく腑に落ちる。

高校の時の友達に、10年振りに会った時のあの違和感。
大学を卒業して、就職して、結婚して子育てをしている主婦の友達たち。と、
芸大行って、劇団はいって、演劇やって、ブルマはいて、シングルを爆走している私。
との、このノリの違い。

「なんか、喋り方かわったね。」
「難しい仕事やってるんやな?。」

喋り方が変わったと言われても、全くわからなかった。
「え、、かわってる??かわってないけどな!」と、誤魔化しました。
あの時の寂しさが、めちゃくちゃ腑に落ちたのです。

そして、私は、今、私のノリに飽きているじゃないかと思ったのです。
そう、もうこのノリええわ。って。

触りはこんな感じ。
そこから、深く勉強することについての考察が繰り広げられている名著です。
とはいえ、私はあまり、教科書本を読まないので、一回では頭にはいってこないところもちらほらっていうか、今感想を書こうとおもったけど大分忘れている。
ので、何度か読み返そうと思います。


さて、そこから「よし、自己目的的に勉強してみよう!」とおもって、手をつけたのが、こちら。

「社会学ドリル -この理不尽な世界の片隅で-」中村英代(新曜社)



初学者向けの社会学のテキスト ということで、中村さんが大学の講義でつかってるテキストをつかってるのですが、
社会で生きている人みんなに関わることなので、これまで社会学を学んだことない人、関係ないと思ってる人、みんな読んだらいいと思う!

本当に導入なので、わかりやすいし、自分に関係ないことが一つもないので、私はテンションがあがりっぱなしでした。
この本の中で、社会学者、哲学者の概念が色々と紹介されるのですが、そこで、私が気になった次の本。


「フロー体験入門 楽しみと創造の心理学」 M.チクセントミハイ(世界思想社)



運動スポーツで、ゾーンに入るということを聞いたことがあったのですが、フロー状態というのはまさにそれです。
時間を忘れて取り組んでいた。
楽しくってあっという間だった。
周りのことを気にする暇がなかった。
みたいな体験を人はしたりしますが、そういう時間を過ごしている体の状態のことを指します。

で、それが一体どういう条件でそうなるのか?
そして、人はどういうときフロー状態を体験しているのか?
どれくらいの割合で?

などといったところをいったん明らかにしたものがこの本。

「フローとは、スキルがちょうど処理できる程度のチャレンジを克服することに没頭している時に起こる傾向がある。
最適な体験は、ふつう、行動能力(スキル)と行動のために利用できる機会(チャレンジ)とのすばらしいバランスを要件とする。
もし、チャレンジが高すぎて失望すると、心配し、徐々に不安に移行する。もしチャレンジがスキルに比べて低すぎて、くつろぐと、退屈してしまう。
チャレンジもスキルも低いとわかったら、人は無気力になるだろう。」(第二章 体験の内容より引用)

自分の生活、活動に照らし合わせると面白いです。
演劇の本番の時の状態は?
稽古の時は?
ご飯を作っている時、申請書を書いている時、文章を書いている時、友達と喋ってる時、ワークショップの講師の時、打ち合わせをしている時など。

ちなみに、私は場当たりしている時がめちゃくちゃフローやと思います。
他にもあるけど、とりあえず場当たり、好きやわーーー。
ちなみに、やりがい搾取 っていうのは、このフロー状態をうまいことつかってる時だったりするんだろうと思います。
劣悪な条件なのに、「自分のためになると思うからお金は結構です。」みたいなのね。
「自分が好きでやってるからいいんです!」とかね。
演劇とかってね、どうなんでしょうか!
ノリ悪いと居心地悪いですしね!
きゃー!ブーメランのように帰ってくるよ!

「社会学、経済学、心理学の知識で社会の現状を知り、自己や他者の心の状態を見つめることで、私たちはみな、自分にとっての最適な状態を目指すことができるのではないでしょうか。
私たちの生活をよりよいものにするために、学問は実際に役立つのです。」(社会学ドリル 第11章 医療より引用)

とはいえ、役に立つ立たないは別によくって、勉強そのものが目的でよいなと、今では思っています。
気がつけば、勝手にノリが悪くなってるってことなんだろう。


おしまい