『今月の私』


今月の私は、末長さん(京都大学経営管理大学院 特定助教)に
上野正道「ジョン・デューイー民主主義と教育の哲学」
という本をお借りして読みました。

以下は俳優である自分のこの本を読んだこじれた感想になってしまいます。
(ためになる感想は末長さんのフェイスブックの記事に載っております)

この本を読んでいると自分たちが取り組んでいる教育現場での演劇WSにももちろんですが、自分にはまるで演劇創作哲学のようにも読めたのでした。

例えば
P18
「真理や知識というものが行為に先立ってあらかじめ決定されるのではなく、実際の行為とその結果によって決められる」
と書かれているのと同じような理屈で、
我々演劇人というものは創作現場において俳優も演出家もスタッフも皆、その時点では誰も観たことのない上演作品をクリエイションする事を自分の仕事としているのだと思います。
あらかじめ誰かの頭の中にあるお芝居というものを演劇という手法を使って出現させる場合もあるのでしょうが、どちらかというとそれは手がかりであり、それを基点として実際の行為とその結果によって創作していく事が多いような気もしています。
ゆえに演劇の上演作品というものは個人の作品になることは難しく、多くはカンパニーの作品として上演されるのだろうと思うのです。
それは演劇作品が常に(人ではないものも含めた)他者との相互作用を通して生成されていくからではないかとこの本を読んで考えていました。
これは私の曲解も入っていますがこの本のP208の文章を引用しながら自分の言葉も少々挟んで理解すると、
「生存者と死者の経験が鑑賞者と制作者の相互的な作用により、現に今あるかのような経験としてもたらされ、その経験がもたらされた時にそれが表現として形成される」
と、演劇作品が上演されることの豊かさについてもこの本は言語化してくれているように思えました。

演劇はなんという素晴らしいメディアなんや!!
そこに相互に経験がもたらされた時に表現が形成されるのか!!!

あと、以下の文章にも痺れまくりました。
P75
「それぞれの楽器には固有の音色や旋律があるのと同じように、社会ではそれぞれの人種や民族の精神と文化が固有の主題と旋律を構成し、それらの調和と不協和音の差異を維持して、文明の交響曲を形作るべきだ。文明の交響曲は演奏される前に書かれるのではなく、演奏が書かれるのであり、必然性がなく定めた限界のなかで自由に変化し、ハーモニーの多様性と範囲は広い。」
P101
「相互に異なる人々や集団がより多くのより多様な関心を分かち合い、経験を共有することで他者と共に生きる民主的な社会を形成する」
P103
「世界の中で経験した事の意味を振り返り、思考し、探究し、それ以後の行動を方向づける経験。」
P103
「私たちは何かを試み、実験しながら、同時に他者やさまざまな事象から吸収し、受容し、結果を被るのであり、また何かを受容し、吸収することをとおして、さらに新しいものや事柄を試みたり、実験したり、創造したりする。」

ああ、勇気の出る言葉にお腹がいっぱいです。

また今月の私は5月に参加させていただく公演に向けて体力作りに励んでおります。

【出演予定】
サファリ・P 第9回公演『透き間』
愛知公演 2023年5月14日@メニコンシアターAoi
大阪公演 2023年5月20日〜21日@インディペンデントシアター2nd