『アマンダの旅行記』

伊予柑が近所のスーパーで6万円で売っていた。
1個6万円だ。
「なにこれ、信じられへん」
と値札を見た(見た目の雰囲気からの偏見だけど)どこかさびしそうな男が言っていた。
私はそれを聞いて関西人だなと思った。
思った瞬間男が後ろに立っていた私の方を見た。
私は、だから、としか理由がないが、伊予柑を手に取った。
鼓動が早くなる。
私は今日、100グラム130円以下の豚こま肉を狙ってこのスーパーに入ってきたのだ。
なのに6万円も使おうとしている。
1個の伊予柑だ。
6万円もあれば2ヶ月は食べていける。
なのに1個だ。
1個の伊予柑だ。
私の場合この伊予柑の大きさならば5分もあれば決着がつく。
6万円も?
お金を使って私は何を得ようとしているのか。
私の経済状況ではそこに痛みしか無いではないか。
例えこの伊予柑が爆発的に美味しかったとしても、結果的に痛みの方が勝るだろう。
関西人の男はもう既に私から興味を失って大根を手に取っている。
男が私の方を見ている、という理由だけで手に取った伊予柑だ。
もうその理由も無くなった。
手に取った理由も理由になっていないのだ。

戻ろう、あの時に。
お母さん、ここは怖いよ。
伊予柑を手に持って途方にくれている場合ではないのだ。
無いのだ!!