『鳴らない奈良旅』

ペーニャは怒っていた。
ワイフのマライが今回の奈良旅行についての詳細を相談しようと言い出したのに、そこで交わされる会話のほとんどがお醤油にまつわる話だったからだ。
ペーニャだってお醤油には一言ある男だ。
だから食卓におけるお醤油にまつわる話など普段だったら、たまらなく魅力的な話題だ。
「嫁よ。たまらないよ」
とペーニャは思った。
どこの家庭でもよくあるような、辛い事が原因なので詳細についてはここで述べないけれど、マライとはもうすでに思った事や感じた事をそのまま表明し合えるような関係性をこの時点では失っていたので、と、ペーニャは思っただけにとどまった。
少しずつこうやって更に関係性が変化していく事をペーニャは肌で感じつつ、知らないそぶりをしているのだ。
表出しない分知らないふりも簡単に完璧にできてしまう。
お醤油の話題はお互いにとって良い雑談になるはずなのに、どこか空回りしたまま終わる事になった。
「もっと」
と、ペーニャは思った。
「もっと」
と、マライは思った。
そこから奈良の旅の話になるかというとそうはならなかった。
今日やるはずだった話をいつかにしようとペーニャは思っていた。
思っていたのはペーニャだけだったと後からわかる事になる。

一人で奈良に来たのはそういう理由だ。