『やめろと言われたら』

3、4歳ぐらいの子どもを見ると泣いてしまうこの感情を何と名付けよう。
歩いている姿が特に私の感情を突き動かしてしまう。
いつからだろうこんなことになってしまったのは。
最初はやはり、多くの人がそうであろう「かわいい」から入っていったと思う。
子どもが「かわいい」と思うようになったのは30を超えてからで、そういう感情が芽生えてきた時に初めて自分がもう青年ではなくなった事を自覚したのだった。
街中ですれ違う子どもを目で追うようになり、
やがてそれはかわいいからえもいわれぬ感情に変容していったのだ。
ゆっくりと時間をかけ、やがて10年が過ぎ、こうなってしまった。
感情が動いているのはたしかで、ならばこれが感動ということだろうとは思う。
そして、確かに動いているこの感情を言い表す言葉を私は持っていないのだ。
ならば、この感情を何と名付けよう?
私にはわからない。
ただ、心臓が押しつぶされそうなのだ。
良いことなのか悪いことなのかもわからない。
異常なのかも、自然なのかもわからない。
考えてみたら、
飛行機が空を飛ぶ原理もそう言えば私はわかっていない。
ただ飛行機は何かのジェットの力で飛んでいるのだろうと思い込んでいた。
そして、ジェットの力? と思わなくもない。
わからないことを考え出すとすぐに鏡の乱反射のようにわからないことが増えていき、誰かが頭の中で叫ぶ。
「やめろ!」
と。
私はこの声を7歳の時から聞き出した。
肝心なところで必ず叫ぶこの声にみなさんと同じく私も忠実だ。
だからやめる。
やめた後は食べる。
なるべく満腹になるように食べるのだ。
今日は何を食べよう。
その事ばかりは悩んでも「やめろ!」とは言われないのだ。
自由だ。