『私のブルーズ、云わばブルーズ』

前から薄々は感じていましたが、
私のクーラーのきかない部屋で作られたカレーライスは、とても美味しいのです。
果てしなく、といっても過言ではないでしょう。
私は孤独とは思いませんが、家族も友達も仲間もいません。
ゆえにこのカレーは誰にも食べられた事はないし、
誰にも評価された事がありませんが、
断言しましょう。
果てしなく美味しいのです。
なぜなら私のカレーは他の商業的なカレーライスではありえない、
私の日々の生活、つまり不安や苦しみ、憎しみからうまれているからです。
そこに私は感動しているのです。
私のカレーは私の苦悩からうまれています。
そしてそれは、だからこそ普遍的で宇宙にさえつながるものだと思うのです。
ゆえに果てがないのです。
ただ一つ。
誤ちがあるとしたら、
もはや私のカレーは「美味しい」という言葉の範疇に収まっていないかもしれないという事です。
味覚の範囲にも入っているのでしょうが、しかし味覚にだけにも収まっていません。
「カレーライス」
とは何か。
最近特に想いを馳せることが多くなってきました。
明日もつくるでしょう。
生きて身体が動く限りはつくるでしょう。
これを読む貴方に食べてほしい、とは強くは思いませんが、
せめて知ってほしい。

そう思うのです。