『今夜も濡れる、夜が訪れる』

着る服がない。
下着もその大半がもうビチョビチョに濡れていてどうしようない。
干しても干してもいつの間にか濡れている。
乾いてきているなという気がしたことがない。
ベランダに干しても、部屋の中に干しても結果は同じだ。
コインランドリーに行っても同じなのだ。
湿りきっているを通り越して濡れそぼっているのだ。
他の服やタオルなどは、乾ききってはいないにせよ、ビチョビチョではないので、これはもう何かの意志が働いているとしか思えない。
誰かの、何かの悪意に違いないだろう。
運命ではないだろう。
週の初めに下着を1週間分買うようになってもう半年が経つ。
この出費が私を今、苦しめているのだ。
ファンシーなもの、豪気なもの、安すぎる物、どうかと思うほど高価な物、ちょうど良い感じのもの、デザイン、質感、作り、あらゆる物を試した。
同じものでも、ネットで買ったり、店頭で買ったり、友だちに買ってきてもらったり、色々なルートを試した。
「濡れない物」
その一点を求めて、探し回った。

見つからなかった。

「願えば叶う」

と言った奴を殺したい。
八つ当たりではあるけれど、
殺意は止まらない、申し訳ない。
1点だけ、救いがあるとするならば、
買ったばかりのおろしたての下着は最高に心地良いということだ。

使い古した下着を着用するあの感じを思い出し、あのはき心地を振り返るならば一言、
「哀れだった」
惰性の下着には緊張感もなかった。

今は違う。
一期一会をかみしめ、味わい、堪能している。
出会いで始まり、別れで終わる。
再会などないのだ。

どちらを望むか、
それが問題なのだ。

お金が無い。
それも問題なのだ。