※「異性とお付き合いする」という「出来事」が、みなさんにとってどれほどの大きさの出来事なのかをわかりやすく何かに例えてみようという趣旨の文章でございます。

【ケース20】
「自転車にのる」

爽やかな回答ではありませんか。
これを回答してくれたのは、この回答のイメージ通りの爽やかな男性でした。
京都で主に自転車を主な交通手段にしている方の回答です。

ぼくも同じ境遇の人間なのでこれはわかります。

そういえば自転車は乗れなくなるまで乗るような気がします。
自分の自転車が順調なうちは、新たなカッコイイ、もしくはカワイイ、機能性の優れた自転車があったとしても、そんな簡単に乗り換えるような事はしないと思います。
というか、目に入らない!

盗まれたり、壊れたり、撤去されたりして、
自転車が無くなってしまった時の、あの喪失感ったらどうでしょう。
確かに自転車が無くても、バスに乗ったりなんだりと、普段の日常生活を送ることはできるのです。
しかし!
バスだなんだで移動している時の、あの時の心持ちのモヤモヤさ。
自転車の時とは違ってみえる、いつもの風景。

・・・ああ、思い出しただけで辛いものがあります。

その時。無くなって初めて、でもないでしょうが、文章的には矛盾はありますが、気持ち的には「改めて初めて」気付く自転車の重要性というものがあるのです。

パンクしたらすぐ直しに行きます。何度も直して何度も直して、タイヤ交換して、それでもまたパンクして、を繰り返すうちに、なんだか今の自転車が嫌になってくる。

故障を直しに行ったら、7000円近くかかるといわれて、それなら新しい自転車買おうかなという気持ちがムクムクと沸き起こってくる。

鍵をかけていたのに盗まれる。
前の反省を生かして、結構高めの鍵を何個かつけていたのに盗まれる(※あろうことか自宅の駐輪場で)。

これを恋人同士の別れに置き換えたらなんとも哀しく、またなんとも胸が痛い出来事ではありませんか。

大切に乗らねばなりませんね、大切に乗らねば。
そういえば、「なんでもないような事が、幸せだったと思う」と、THE 虎舞竜の人も歌っていましたしね。
日々、今乗っている自転車に感謝していくと思った次第です。

それでは次回は
【ケース21】
「海で流木を拾ってキャッキャッ言う」
です。