「セールスマンの手腕」

さいきん私の家に、毎日のようにあの男がやってくる。
男は、私のところに物を売りにきたのだと言う。
玄関のドアを開けると特殊なセンサーに反応して壮大なファンファーレの音が鳴り響く、
「ガチャッ戸ファンファーレスピーカー」
定価124万円也。
最初に話しを聞いた時はあまりにも高額であるし、とくに欲しいとは思えない、もっと正直にいえば下らない商品だとさえ思っていた。
だから最初に男が、このスピーカーは大変人気商品ですので在庫はもうないのです、と言っていても、にわかには信じられなかった。
だが。
遅ればせながら私も、この「ガチャファンスピーカー」の魅力を、さいきんようやく理解できるようになってきたのだ。
それもすべて、毎日のように、男がこの「ガチャファンスピーカー」の魅力を余すところなくすべて熱心に私に語ってくれたからだ。
そう、私はいつも後から気付く…いや、気付かされる。
登志子のことも、そうだ。
仕事で疲れた私の身体を癒してくれていたのは、他でもない妻の、
「おかえりなさい」
の一言であったということ。
男は確信をこめて、私にそう言うのだ。
考えてみれば、離婚してからはや5年。
たしかにさいきんは仕事の疲れが身体からなかなかぬけず、とても辛い思いをしている。
私はそれをずっと歳のせいだとばかり思っていたのだが…、
うん。
そうか、登志子の一言か…。
考えてみれば、たしかにそうかもしれない。
どれだけ遅くなっても、あいつは眠らずに起きて私を待っていてくれていた。
「おかえりなさい」
の一言を言うために。
私はその言葉にどれだけの安心感を与えられていたか。
家に帰って独り部屋の電気を点けるようになった今、そのことが本当に身に染みてよくわかる。
私はいつも大切な物を知らず知らずの内に失ってしまい、そして失ってしまったことさえ人から言われなければ気付けないのだ。
気が付けば私も、もう来年は55になってしまう。
歳だけは偉そうに年月を重ねてしまった。
男は言う。
こんどはこの「ガチャファンスピーカー」が、登志子のように、疲れた私を祝福の音色で癒してくれるだろうと。
男は言う。
「ガチャファンスピーカー」はとても壊れやすいし保障証もないので、感謝の意味をこめて、毎日きっちりメンテナンスだけは忘れずに行なうこと。もしそれでも万が一あっさり壊れてしまっても、それを登志子さんの痛みとしてしっかりうけとめるべきだ、と。
それが登志子さんへのせめてもの恩返しになるのだ、とも。
男はなぜここまで他人の私のことに対して、ここまで熱っぽく語れるのか。
ただもう私は男に感謝するしかない。
登志子のこと。
「ガチャファンスピーカー」の魅力、そしてその使い甲斐。
私はまた教えられたのだ。
私は貯金をはたいて「ガチャファンスピーカー」を購入することに決めた。
失ってから気付くのはもうたくさんだと思ったのだ。
後から気付くのは、もうごめんなのだ。