「たった一つ」

小学生のあの頃。
一言でいえば、ぼくは何もできない子どもでした。
跳び箱は飛べない。
さか上がりはできない。
倒立はできない。
泳げない。
速く走れない。
遠くに投げられない。
重い物が持てない。
と、ある意味パーフェクトだったので、体育の時間が本当に苦痛で仕方がありませんでした。
おまけに頭も悪く、泣き虫で弱虫で、あまりお風呂にも入らず、すごくおとなしく、背が小さくて小太りで、手先が不器用で…振りかえってみると信じられないくらいあのころの自分の良いところが見つけられず、愕然としてしまうほどです。
けれどそれでも、それなりに当時は楽しくやっていたのだから、我ながらどう心の折り合いを付けていたのか、不思議で仕方がありません。
でも、それよりも何よりも恐ろしいのは、あれから二十何年間を経た今も、自分が当時とさほど変わっていないということです。
あのころできなかったことで、今できるようになったことなど一つもありません。
それどころか、歳を重ねた分だけできない事が増えていくのですから、冷静に考えると生きていくのが恐ろしくなってしまいます。
そんな一見どうしようもない私ですが、実は私はバントだけは天才的才能があると自負しているのです。
これまでの私は、「自信」という言葉とはあまりにもかけ離れた位置に立って生きてきたわけなのですが、ことバントに関してだけは違うのです。
草野球を始めてまだ半年ほどなのですが、その間にもう何度もバントの神様にほほえまれているとしか思えない瞬間を味わってきたのです。
走れない、打てない、守れない。
そんな私ですが、バントだけは誰にも負けません。
私は感じるのです。バントを試みている時の私は、私の立ち姿は、宇宙の自然の摂理に対して何も間違ってはいないことを。
地球に空があり海があり雲があるように、私のバントは存在しているのです。
ただ残念なのは、誰も私のこの天性の才能に気付いていないことです。
理由はいくつかありますが、決定的な点は、その才能があまりにも地味すぎるからでありましょうか。
あまりにもバントばかりをするので最近ではあろうことか、
「おまえ面白くない」
とまで言われるのです。
どん詰まりかと思われた私の人生に、ようやく差した一本の光、せっかくならばもっとわかりやすい才能がよかったと思わないこともない今日この頃であります。