「愛ゆえに」

いつくるのか。
いつ帰ってくるのか。
私は非常にそれが知りたいわけであります。
私はアナタには乾きたてのシャツを着て欲しいのです。
やはり本物のシャツを着てほしいのです。
乾きあがって10分も経ったシャツは、私からすればそれはもはやシャツではありません。
シャツもどきでしかないのです。
この社会に溢れかえった、シャツもどきを着た人々を見るたびに、私は思うのです。
アナタには本物の、干したてのシャツを着てほしい、と。
緊張感のかけらもないシャツを着て、ヘラヘラ笑っている人は、みんな自分が似てない郷ひろみのモノマネをしているようなものだと自覚しているのでしょうか。
それがどんなにミジメな姿かを、その人たちは知っているのでしょうか。
私は、少なくともアナタには、そんなマネをさせたくはないのです。
私は、アナタには郷ひろみそのものになってほしいと、そう思っているのです。
いえ。
きっとなってくれると、私は確信しています。
だからまずその第一歩として、シャツぐらいは乾きたてを着ていなければ、お話しにもならないと思うのです。
確かに、いつシャツが乾いたのか判断するのは、難しい問題であります。
乾かしてから乾きあがるまで、片時も目が離せないのですから。
ほんのわずかな油断が、一番乾ききったその瞬間を見逃してしまう事も珍しくはないのです。
しかしそれぐらいしなければ、それぐらい張り詰めた毎日を送り続けなければ、とても郷ひろみにはなれないと思うのです。
郷ひろみになりたいのならば、それぐらいの苦労、努力は当たり前だと思うのです。
郷ひろみ。
確かに偉大な男であります。
そびえたつ高い壁であります。
人生の目標が郷ひろみでなければ良かったのにと、我が身を嘆いた時もありました。
しかし私は郷ひろみなのです!
もうやり直す事はできないのです。
だから私は乾きあがる瞬間を逃しません。
逃してなるものか、と思っています。
だからアナタ。
私はアナタがここにいつ帰ってくるのかを知りたいのです。
5分の誤差もない範囲で知りたいのです。
私は知りたいのです。
私は、もう何年も待っているのです。