「掃除の理由」

部屋の掃除をしなければならない。
なぜならば、部屋の香りがたまらないからだ。
たまらなくクサいのではない。
クサいのであればまだ良い。
まだ救われる。
わかりやすい。
香りの原因がわかれば、対策も練れるというものだ。
そう、例えば、掃除をする、とか。
しかし残念ながら今私の部屋では、クサい香りではなく、たまらなく不安な香りが漂っているのである。
その香りは決して不快ではない。
不安なのだ。
それはハッキリしている。
が、では不安な香りとは何かと聞かれると、非常に困る。
正直ハッキリとはわからないからだ。
何の匂いかわからないから不安になるのか、「不安な匂い」だからこそ嗅ぐと不安になるのか、それさえもわからず、それがまたより一層不安を煽っている面もある。
おかげで近頃は何が不安なのかわからない、得体のしれない不安からくる不安を抱え、それこそ掃除の一つでもしていないといけないのではないかと思う日々なのである。
そう、私は今掃除をしたいと思っているのではなく、しなければならない、と追い詰められているのだ。
このまま何気なくすごしていけば、もう自分は一生野球のホームランの感触、快感を味わえないだろうという、ボンヤリとした、しかし確信。
花火大会にどうしても楽しいイメージを重ねる事ができない、そんな自分が宴会の幹事に任命された。
友達の家のトイレで、カギをかけずに大便をし始めている事に気付いた瞬間。
世の中には色々な不安があるが、しかし得体のしれない不安ほど不安なものはない。
今すぐカギをかけろ、ではすまない問題が、世の中にはたくさんあるのだ。
私はまた一つ勉強になったが、かといって成長したかどうかは疑問である。
不安が残る。