「どうしようもない私たち」

 ぼくの母親が偶数月の第3火曜日に空を飛ぶ、というのは、以前お話しした通りです。
  もしかしたらと思っていた父親は、おかげさまで今のところは、まだ飛ぶ気配を見せてはいません。見せてはいませんが、いつ飛び出すかと考えると不安で眠れないのです。
  最近は、母親が晩ご飯に、父親の好物である鮭チャーハンばかり作るので、父親はそれを「うまい、うまい」と言いながら食べています。まったくもって呑気な男だ、と思っていたら、母親がいつものように飛んで行ったある晩、
「こんなに毎日オレの好物ばかりを続けて出してくるなんて…、母さん、生き急いでいるんじゃないかな」
  ポツリとそうつぶやくのです。
  問題にすべきところはそこなのかという衝撃も受けつつ、また、こんな時に一体何と答えれば良いのかもわからず、だからその時、ぼくは曖昧に微笑む事しかできませんでした。
  そんな自分に腹が立つやら情けないやらで。
  しかもその複雑な気持ちを、今もなんて事をしてしまったのかと激しく後悔していますが、あろう事かぼくは、暴力で表現してしまったのです。
  興奮のあまり、その時の事はよく覚えてはいないのですが、その時に着ていた父親のシャツの襟元が伸び伸びに伸びきっているところを見ると、そうとう激しい暴力をふるってしまったはずです。少なくとも、頭の髪の毛をムシるぐらいの事はやっているでしょう。
  けれど、その日の事を思い切って父親に尋ねてみても、父親は曖昧に微笑むばかりで、何も答えてはくれないのです。
  それも、その微笑みは、まるでお釈迦様のように穏やかなのです。
  だからぼくは思わず、
「お釈迦様のようだ」
  と、言ってしまいました。
  父親はそれを聞いて嬉しかったのでしょうか、ぼくにお小遣い1万円をくれたのです。
  ぼくは、今まで生きてきた中で、その時が一番嬉しかったですね、また1万円がほしいと思っています。