「フランクフルト屋細腕繁盛記、中編」

 新年を向かえ、私は猛っていた。
「いらっしゃいませ、どうぞー。フランクフルトいかかですかー」
  あらんかぎりの力を使って、私は吠えた。
  橿原神宮中に、いや、奈良中に響きわたれと願いながら、私は精一杯声をだし始めたのだ。
  何がまるまる焼きだ、ミッキーマウスまんじゅうだ、焼きトウモロコシだたこ焼きだリンゴあめだ焼きソバだおでんだイカ焼きだっ。
  私はまるでホストに入れあげてしまった淑女の如く、
「この子をナンバーワンにしてみせる」
  という、アツい想いで心がいっぱいになっていたのだ。
  しかし。
  おお、しかし!
  売れないのだ。
  人通りはすごい。次々と人が通り過ぎて行くし、大体みんなこちらの方をチラチラと見ていく。見てはいくのだが、立ち止まらないのだ。みんな初詣に忙しくて屋台には興味がないのかといえばそうでもない、両隣りの店にはたくさんの人だかりができている。
なぜだ、なぜなんだ!
フランクフルトがなぜこんなにも人気がないのか、私にはわからなかった。そこそこ美味しそうだし、それに一本200円は夜店の屋台にしては安い方である。焼きトウモロコシは一本400円だし、リンゴあめなんて500円もするのだ(関係のない話しだが、焼きトウモロコシとリンゴあめが好きだ。私の場合こういう夜店の屋台で、自然と目で探してしまうのは、焼きトウモロコシ屋とリンゴあめ屋なのである。焼きトウモロコシの場合、確かに値段は高い。値段を確認する度に「えっ、そんなにするのか…」と、少しひいてしまうが、それでもやはり買ってしまうのは、なんといっても味が好きだからだ。屋台のお好み焼きとか焼きソバは正直あんまり美味しくない事が多いが、こと焼きトウモロコシだけはどこで食べても当たり外れがないし、何よりこういうところでしかあまり食べられないプレミア感がある。それに他の食べ物よりも圧倒的に食べ応えがあるのだ。他のやつはひと口ふた口食べて、おっ結構美味しいなと思った時には大概あともうちょっとしかないのに、焼きトウモロコシの場合は終盤に飽きが来るほどのボリュームなのである。一方、リンゴあめも負けてはいない。こういう場でしか食べれないプレミア感はもちろんの事、デカいやつを食べているとアゴがだんだん疲れてくるほどのボリュームなのだ。けれども告白すれば、私は当初リンゴあめがあまり好きではなかった。好きではないというか食わず嫌いであったのだ。というのも、やはり値段が高すぎるように感じていたのだ。まだリンゴあめの全貌を知らなかった私には、たかだかリンゴの形をした飴1個に300円、500円も払うなんて馬鹿馬鹿しいと愚かにも思っていたのだ。しかし、ある日、友達にリンゴあめをおごってもらって食べた時の事である。「シャリッ!」……。え?こ、この歯触りはまさか、リ、リンゴ?本物のリンゴ?飴の中にリンゴが!?なるほど、それで「リンゴあめ」なのか、なんて粋な食べ物なんだ!という知ってる人には当たり前の事実に、しかし感動してしまったのだ。その感動の出会いからずっと好きなのである。…えー、ご覧の通り焼きトウモロコシとリンゴあめの愛について書いていて、気付けば取り返しのつかないほど、このカッコの中の文章が長くなってしまった。しかしそれほど、思わず文章のルールを無視させてしまうほど、私はその二つの食べ物が
好きだ、という愛の深さを逆にわかっていただけたのではないだろうか。まぁ、わかったところでこれを読んでいただいている方にはなんの得にもならないのだけれども)。納得はいかなかったが、これが現実である。
  午前5時。
  売り上げ2万円ちょいで私の闘いは終わった。
  完敗であった。(つづく)