『黒木陽子の百人一首を斬る!』
(略して『陽子の百人斬り!』)
【第百回】

【原文】
百敷や古き軒端のしのぶにも
猶あまりある昔なりけり
[順徳院]

【読み】
ももしきやふるきのきばのしのぶにも
なおあまりあるむかしなりけり

【意味】
宮中の古びた軒端に生えているしのぶ草をみるにつけても、忍んでも忍びきれない華やかな昔の御代であったことよ。

【斬る!】
いよいよ百首目です。
勝手にセンチメンタルなヤツが胸をたたくわけですが、
まあそれはそれ。これはこれ。

さて。
この順徳天皇は、99番の後鳥羽上皇と同じく
承久の乱で負けて佐渡に島流しで生涯を終えています。
つまり、この歌も負け犬の遠吠え的な歌なんやね〜。

百敷というのは、いろいろ石や木が敷かれている=宮中を指すん言葉なそうなのです。
で、もちろん選んだ藤原定家は百人一首の百首にかけたんやろうなぁ・・・。

昔はいい歌がいっぱいあったなぁ・・・
(それに比べて今は・・・)ってことか?

う〜ん。
あわせて考えると、
なんだかね。

藤原定家とこの歌を読んだ順徳院って、ほぼ同じ時代の人なんよ。
定家は順徳院に歌を教えていたが承久の乱で佐渡に流され、
その4年後に小倉百人一首のもとが作られ、
その6年後定家が死んで、その次の年に順徳院は死んでいるのだ。

佐渡の謀反人の歌を最後のまとめ歌に持ってきていいのか?
こんなん、みつかったら大変やん。
(多分定家の回で、このセレクションは紅白の歌手決めくらいパブリックだったんじゃないか!と、書いていましたが、まったくの私撰集だったみたい。死後しばらくたってから注目を集めたらしい。)

昔、「百人一首の歌は、後鳥羽上皇復活のための、呪詛になるよう配列されている!」という説を聞いたとき「考えすぎやろ・・・」と思ったけど・・・。
呪詛かどうかはわからないけれど、定家が後鳥羽上皇派だったことは確かやね。

定家自身は、けっこう出世しとるし、勅選和歌集にもたくさん歌を取り上げられてるし。

「ごめん!ごめん!」
「・・・。」
「ごめんっていったら『うん』って言って!」

そんな、綿の国星のチビ猫みたいな気持ちで百人一首は作られたんじゃないだろうか。

・・・すっかりこの歌ではなくて、百人一首全体の話になってますが。
まあいいや。最終回らしくてよろしいんではないか。

とにもかくにも、そんな申し訳ない気持ちで政府の目を隠れてアンダーグラウンドに集められた百首は、今やどの和歌集より栄えている。

きっと、後鳥羽上皇も順徳天皇も天国で「うん」とうなずいているに違いない。

のんきに学んだり坊主めくりで遊んでいた百人一首ですが、
藤原定家の私的な謝罪の積み重ねだと思うと、なんか気持ち悪いですね。
そして、とても面白いと思います。

(おわり)

(現代語訳・作者解説は、Webサイト小倉百人一首さん http://www.watarase.ne.jp/hyakunin/から引用しました。)

次回、お疲れ様編です。
次の連載も決めました!タイトルを発表します!
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