『黒木陽子の百人一首を斬る!』
(略して『陽子の百人斬り!』)
【第九十八回】

【原文】
風そよぐならの小川の夕暮れは
みそぎぞ夏のしるしなりける
[従二位家隆(じゅにいいえたか)]

【読み】
かぜそよぐならのおがわのゆうぐれは
みそぎぞなつのしるしなりける

【意味】
風がそよそよと楢の葉に吹いている、このならの小川(上賀茂神社に流れる小川)の夕暮れは涼しくて秋のようだが、みそぎが行われているのが夏の証拠であることよ。

【斬る!】
京都で暮らして、はや十数年。
上賀茂神社に行ったことない・・・。
サイトによると、結婚式料10万円か〜。へ〜。

まあ、それはいい。
なんか、さらりとした歌ですね。

鎮守の森にそよぐ風。
小川。
夏。

清涼感があっていいんじゃないでしょうか。
・・・。
え〜これだけ・・・?

あかん!これだけじゃあかん!字数が少なすぎる!

え〜と。そうや。
私の記憶では、「みそぎぞ夏のしるしなり“けり”」
やってんけど。なんで語尾は“ける”なん?

そんなわけで、98首目にして初めて文法に触れちゃうぜ。
・・・いやだなぁ。

ーーーーー
けり【助動詞】
2.(詠嘆)今まで気づいていなかったことに今、気づき、驚くこと。
ーーーーー

へ〜。今、気付いたんや。夏だってことに。
「ふぃ〜葉にそよぐ風が、小川が涼しかね〜。
 ってみそぎやん!夏やったんや!」
そんな感じ。お茶目さん。

ーーーー
ける【助動詞】
 “けり”の連体形
ーーーー

連体形?何やったけ、それ。
・・・ああ。体言(名詞とか。多分)に続く形か。
<女御更衣あまたさぶらいたまひ“ける”中に>とかやんね。

ん?え?なんで?
ほんならなんで、連体形で終わっている訳?

源氏物語の書き始めも、
<すぐれてときめきたまふありけり>
って“けり”で終わってるやん。

=検索して調べてみた結果==========
文中に「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」など
強調する言葉がはいっていたら、
文末は連体形か已然形(「こそ」のみ)になる。
======================

ほへ〜。
そういやそうだったような気が・・します。

例No.37ーーーーーーーーーーーーーー
白露に風の吹きしく秋の野は
つらぬきとめぬ玉 “ぞ” 散り “ける”
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ほんまや!ほんまや!
「けり」やったかな?「ける」やったかな?っちゅう歌は、
ここで判断すればいいんやね。

なるほど〜。
なかなかおもしろいもんですな、文法も。
外国語を習っているみたい?
ていうか学生時代は、
外国語の習得的な科目が一番嫌いでした。

「んなもん、なんとなくそうで、あとで理屈つけてるだけやろ!」
ってなんか不毛に感じてしまったんですなぁ。

・・・。
今までアンタッチャブルにしといたけれど、
ちゃんとしとったら、
今頃私はちょっとした文化人になれてたかもね。
森高千里ですね。

(現代語訳・作者解説は、Webサイト小倉百人一首さん http://www.watarase.ne.jp/hyakunin/から引用しました。)
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