『黒木陽子の百人一首を斬る!』
(略して『陽子の百人斬り!』)
【第九十七回】

【原文】
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに
やくや藻鹽の身もこがれつつ
[權中納言定家]

【読み】
こぬひとをまつほのうらのゆうなぎに
やくやもしおのみもこがれつつ

【意味】
待てども来ない人を待ち続けて、あの松帆の浦の夕凪の海辺で焼く藻塩のように、わが身を焦がして切ない日々をおくっているのです。

【斬る!】
あれ。これって…
やっぱりそうだ。藤原定家じゃん。

あれですよ、この百人一首を選んだ人ですよ。
やっぱり自分の歌を入れるよね。

よし!
今日はひとつ、歌の解説じゃなくて、
“撰集”
ということについて考えてみようじゃないか。
(ええ!百人斬りなのに!)

この時代のことですから、
べつに自分の車で聞くCDを作るために、
好きな曲を集めたわけじゃないんだぜ。
これは、4年に一度の紅白歌合戦だと思いなさいよ。

「○○天皇を入れたのになぜ△△上皇が入らない!」
「懐メロもいれとこか。誰にも文句言われんやろう」
「100人なんて縛り、やめればよかった…」

そんな、かなり政治的な行為なんだぜ。
(・・多分。・・・そうやんねぇ?)

おそらく、一人で選んだんじゃない。
何人かで選定しているに違いない。

その作業は何年にもわたり(多分)、
いろんな妨害に遭い、
部下は辞め、上司も辞め、
ときには自分も辞めたくなり…。

全部、私の想像&妄想ですが。

いや、でもきっと大変だったと思うのよ。
演劇祭でもそうやもん。ねぇ。
ほとんど選ばれる立場にしかなったことないけど。
絶対選ぶ方が大変や。

この歌、小中学校の時は
「恋の歌やのに、藻?なんかダサイ。サザエさんみたい」
と思っていたんですが。

大人になって、そういう“撰集”の苦労を少しでも感じられるようになると。
97首目にこの歌を入れた定家の気持ちがよく現れている気がいたしますよね!

韓国海苔のような身になった疲労感がね!
わたしも97首続けて来て、カラッカラです。
「連載終了まであと2ヶ月」と言われてクラクラしました。


(現代語訳・作者解説は、Webサイト小倉百人一首さん http://www.watarase.ne.jp/hyakunin/から引用しました。)
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