黒木陽子の百人一首を斬る!』
(略して『陽子の百人斬り!』)
【第九十二回】

【原文】
わがそでは潮干に見えぬ沖の石の
人こそしらねかはく間もなし
[二条院讃岐(にじょういんのさぬき)]

【読み】
わがそでは しおひにみえぬ おきのいしの ひとこそしらね かわくまもなし

【意味】
あなたを想って涙に濡れる私の袖は、潮干にも見えない沖の石のように、誰も知らないでしょうが、乾くひまもないのです。

【斬る!】
あら?こんな歌、前もなかったっけ?

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90番:見せばやな雄島のあまの袖だにも濡れにぞぬれし色はかはらず
72番:音に聞くたかしの濱のあだ浪はかけじや袖のぬれもこそすれ
65番:恨みわびほさぬ袖だにあるものを戀にくちなむ名こそをしけれ
42番:契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは
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ほら、袖ばっかりやん!
百人一首で、「袖」といえば「涙」。
「葦」といえば「短い逢瀬」。
だいぶわかってきたな。なんせ92人目やからね。

戦後文学において袖といえば、
坊主頭の少年が鼻水でカピカピにしてるものなのになぁ。

えらい違いますなぁ。

衣服が和から洋へと変わる中で、
涙をふくものが、袖から木綿のハンカチーフになっていったんでしょうなぁ。

♪あ・な・た最後のわがまま
 贈り物をねだるわ〜
 ねえ涙吹く正絹の〜
 小袖をください〜
 小袖をください〜  ♪

そんな感じやね。
一気に国風文学の世界に飛べるし。
さわやかさが、一転。媚っぽくなりましたね。

そうか。袖系の歌は、ひょっとしたら
着物をねだっている歌なのかもしれないぞ!
これって!新たな解釈じゃない?!
どうですか!?
(誰に聞いているのか・・・?)

この後、袖系の歌が出てきたらどうしよう。
もう、ネタが無い。
無い袖はふれんよ。
お!うまい!

調べてみたら、95番も袖系ということが判明。
袖か〜。

(現代語訳・作者解説は、Webサイト小倉百人一首さんhttp://www.watarase.ne.jp/hyakunin/から引用しました。)

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