『黒木陽子の百人一首を斬る!』
(略して『陽子の百人斬り!』)
【第七十一回】

【原文】
夕されば門田のいなばおとづれて
あしのまろやに秋風ぞふく
[大納言経信]

【読み】
ゆうさればかどたのいなばおとずれて
あしのまろやにあきかぜぞふく

【意味】
夕暮れになると、家の前の田の稲の葉をさらさらと音をさせて、蘆葺きのこの粗末な家に秋風が吹き過ぎてゆく

【斬り】
あれ。また淋しい秋みつけた系の歌ですか。
え〜。

もう、飽き飽き。秋だけに。
どっひゃ〜。

そんなわけで、
困った私はネットでこの歌の解説を検索してみたのでした。
したらば。


(前略)風の動きにつれてアングルも移動しているかのような描写法は、当時の人々の目には斬新な手法と映ったことだろう。
近代のリアリズムを通過し、現代の映像文化に慣れきった我々には理解し難いことかもしれないが、この歌が当初人々に与えた新鮮な衝撃は、何よりまず、その生き生きとした実感、もっと言えば官能性にあったはずである。例えば百人一首で二つ前に置かれた能因法師の「嵐ふく三室の山のもみぢ葉は龍田の川の錦なりけり」と比較して頂きたい。共に古風な格調を持つ題詠歌という共通点を有しながら、叙景の方法は経信においてどれほど大きな飛躍を遂げていることだろう。古人はこの歌に、肌に沁み入るような秋風の涼しさをまざまざと感じ取ったに違いない。

(出典:やまとうたさんのサイトより。 この解説のURLは→http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/071.html

“風の動きにつれてアングルも移動しているかのような描写法!!”
ううっ。そういう歌の見方もあるんだね…。
大丈夫か、京大文学部美学美術専修卒の私!

いいや。日々勉強だ。
これでまた一つ、パワーアップさせていただきました。

斬るつもりが、斬られちゃったね。
痛い。痛いなぁ…。
淋しい秋見つけた系とか言ってごめんなさい。

私はぶっちゃけると、世界の陰陽の陰を描くようなお芝居は苦手でして、
「一週間に一度は泣いているような情緒不安定の私が、なんでお芝居観に行ってわざわざ暗い気持ちにならなきゃいかんのだ!!」
「もっと光を!」
などと、思っていたんですが。

そうね。「陰」を描く「手法」を観に行けばいいのね。
なるほどなるほど。
今まで、まったくのお客さん視点で観に行ってました。テヘッ!
あ〜。底が浅い浅い。

またもや百人一首を通じて教えられたなぁ。
日々勉強だ。
頑張ります!

ユニット美人『髪結いの女たち』の神戸公演が二週間後にあるんですが、
きっとその勉強が活かされていることと思います。
再演ですが是非。
吉村奈知さんが、は虫類みたいだよ!!
チケットはこちら(http://www.fringe-tp.net/ticket/display/blog_item/74)からどうぞ。どうぞ。

(現代語訳は、Webサイト小倉百人一首さん http://www.watarase.ne.jp/hyakunin/から引用しました。)

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