『黒木陽子の百人一首を斬る!』
(略して『陽子の百人斬り!』)
【第六十二回】

【原文】
夜をこめて鳥の空音ははかるとも
世に逢坂の関はゆるさじ
[清少納言]

【読み】
(よをこめてとりのそらねははかるともよにおうさかのせきはゆるさじ)

【意味】
鶏の鳴き声をまねて函谷関の番人をだまし、関所を開けさせたという孟嘗君の故事があっても、逢坂の関の守りは堅いのでだまされて開けることはありませんよ。

【斬り】
お久しぶりでございます。ひさびさの百人斬りでございます。
ファンの皆様、ごめんなさい。(いるんか?)ツアーなどに行ったりなんたりしているうちにサボってしまいました。たいした文章じゃないくせに・・・トホホ。すみませんです・・・。

だってなんかめんどくさいんだもん、この歌。

めんどくさいの乗り越えて、頑張れ!私!
はい!

えーと。なぜ、めんどくさいかというと、この歌には前ふりがあり、それを解説するのが大変やなぁとおっくうだからなんですね。

頑張れ!私。
はい。

解説を読んで、頭に残った話を、かいつまんで説明します。

この歌は、清少納言ちゃんと、藤原行成くんとのやりとりから生まれています。
夜におしゃべりしていた藤原が、夜中に帰ってしまって、明くる日に「鶏が鳴いたとおもったから帰った」と言い訳してきたのです。

そこで、清少納言ちゃんは、
「それって函谷関のこと?」
と、ウィットに富んだ返答をしたわけです。

はぁ?
・・・と、言われても現代人にとっては、何がウィットなんだかわからないですよね。

え〜。
函谷関といいますのは、中国の故事で、函谷の関所を通る為に夜明け前に鶏の鳴きまねをして関所の役人をだまし、扉を開けさせたとかなんとかという話のことなのです。

つまり!
「とかなんとか言って、はよ帰りたかったんちゃうん?薄情やなぁ」
と、清少納言ちゃんは返事をしたのです。

したらば。
藤原からの返事はこうでした。
「函谷関じゃないよ。逢坂の関だよ。」

・・・はぁ?またもやわかりませんね。

逢坂の関というのは、恋人たちが逢い引きしたりする関所のことなんです。
つまり、ちょっと、ときめき返事が帰ってきたわけですね。
で、清少納言ちゃんは、この歌をおくったのです。

「んもう!恋の道はきびしいで!函谷関は騙せても、私の逢坂の関は騙せまへんでぇ!」

・・・。
どうですか、このやりとり。

私はちょっとついていけません。

こういう態度をして、
紫式部に「清少納言っちゅう女は、あれやな。漢文の知識を鼻にかけて。ムカつくなぁ」
という発言をせしめたんだ。
と、思わずにいられません。

ひょっとして、紫式部も藤原のこと好きやったんちゃうか。
「私やって漢文くらいわかるのに!なぜ!」
そんな心の叫びが聞こえて来るような気がいたします。
・・・?違う?あぁ、紫式部と清少納言、ふたりが務めている時代がちょっと違うのか。
まぁいいや。

みなさん、こんな女性はどうですか?

私もよく、会話の中で、知っている話から引用しようとするんですが、マニアックなところから引用しようとしたり、引用のしかたが下手だったりして、分かってもらえない事が多いです。

恋人から嘘メールを問いただすようなメールが来たら「お前は清少納言か!」と、言ってみてはいかがでしょうか。
きっとけむにまけることまちがいなし!やね。

(現代語訳は、Webサイト小倉百人一首さん http://www.watarase.ne.jp/hyakunin/から引用しました。)
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