『黒木陽子の百人一首を斬る!』 【第四十七回】 【原文】 【読み】 【通釈】 【斬り】 この歌が詠まれた枳殻邸。人に教えてもらって、昨年11月に行ってみました(ひとりで)。観光シーズン&河原町通りに面しているとは思えない、静かでのどかな秋の日がそこにはありました。 え〜と、多分幸田文の小説だかエッセイだかで、「収拾されていないゴミの上にも冬が来る(・・・夏だったかも。いい加減)」というくだりやら、病院もので「医者が着ている白衣の白で病人は季節を見分ける」などなどの文章を読んで多感な20代前半を過ごした私は、そうか生け垣や植木鉢の中にだけ季節が巡ってくる訳やないんやなぁ。と、気づかされたのですが。それもこれも、季節があるから。ふんでもって、夏と冬が、生活する人にとってめっちゃ厳しい季節だから。自然、春になると冬から逃れられる!という嬉しさの反面、夏が来るのか・・・とだる〜んとした気持が生まれ、秋になると夏から逃れられるけど冬が来るのか・・・と寂しい気持が刻み込まれちゃう。 まぁ、何がいいたいのかというと、寂しい季節である秋に「恋がさよなら」になると、思い出気分は120%くらいに強められて、しかもその思い出場所が歌で詠まれたりするともう、思い出気分は200%くらいになってしまって。冷静に文章が書けなくなってしまうんだね、ということを私は言いたいのだ。 きっと秋になったりこの歌を思い出すたびに、私はそんな気分になるでしょう。 う〜ん。いやはや。やっぱり秋の歌はいいなぁ。 (現代語訳は、旺文社 古語辞典[改訂新版]から引用しました。) P.S.ユニット美人無事終了しました。次回(嘘)予告などアップしております。
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