『黒木陽子の百人一首を斬る!』
(略して『陽子の百人斬り!』)

【第三十三回】

【原文】
久方の光のどけき春の日に
しづ心なく花の散るらむ
[紀 友則(きのとものり)]

【読み】
(ひさかたのひかりのどけきはるのひに
しづこころなくはなのちるらん)

【意味】
うららかに日の光がさしているおだやかな日なのに、桜の花びらは、落ちついた心もなくはらはらと散っている。

【斬り!】
春の日。
光があふれた春の日。
ただ、さくらの花びらがはらはらと散っているんだね。

ここで、感じたいのは、風やね。
風が吹いているとは書いていないけれど。
花びらが散る様子から、かすかな風を感じたい。

古代の風。
風そのものは目に見えないけれど、
花の姿をかりて、1000年先の私の元へ届けられることができるんやなぁ。

・・・あら?
もしかしたら、実際に私、その風に触れている?
京都に住んでるし。

あらあらあら? 空気って、ずっとあるもんなんでしょうか?
くだらない疑問。
空気って、1000年前の空気って、今もあるの?
紀 友則が見たさくらの花びらを散らした空気って、
どこに行ってしまったのか。
今、私が吸うている空気の中に含まれているんやろうか?

それとも、日々新しい空気が生まれており、
古い空気は、岩石や海の中に閉じ込められているのか?
いやちがうよね。循環しているんやもんなぁ。

わからん。

まぁいい。
風は心だ。
平らな世界をかき混ぜたりするのだ。

・・・。私が吐いた空気はどうなるの?
蒸し返してしまった。
気になる。
誰に聞いたらいいのかわからない。
1000年前の空気はどうなっているの?

だれか、夏休みの自由研究で調べた人いませんか?

しづ心なく、私の心はもやもやしている。
かき乱されているな。

「SFでよく出てくる、凹凸型のスチ−ル製自動扉は、今現在、ペンタゴンとかで本当に使用されているのか?」
に、続く、私の中のどうでもいい謎、第2弾。

「1000年前の空気は一体どうなっているの?もうほとんどないの?それとも、ほとんど変わらないの?」

この謎が解明されるときは来るんかいね〜。
友則はんは、どう思いますか?

(現代語訳は、Webサイト小倉百人一首 http://www.watarase.ne.jp/hyakunin/index.htmlから引用しました。)




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