『黒木陽子の百人一首を斬る!』
(略して『陽子の百人斬り!』)
【第二十六回】
【原文】
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
今一度の 行幸待たなむ
[貞信公]
【読み】
(をぐらやま みねのもみぢば こころあらば
いまひとたびの みゆきまたなむ)
【通釈】
小倉山の峰のもみじ葉よ、もしもあなたに心があるならば、もう一度ある予定の行幸まで(散らずに美しい景色のままで)待っていてほしい。
【斬り!】
待っててねん。
う〜ん。だんだんわかるようになって参りましたな。
「なんかつまんない。」と、思うのは、たいてい、社交辞令の詩だ。
これは、宇多天皇が小倉山へやって来る前日に、下見に来た貞信公(生前名は藤原忠平)が次の日天皇に送る為に読んだ歌なのだ。
ええ〜。
こんな歌もらって嬉しいか?宇多天皇よぅ。
私なら嬉しくない。
それに、貞信公自身、そんなに頑張って作ってないやろ。これが後世に残ってもなぁ・・・おいおい、俺、もうちょっといい歌、歌ってへんか?
そんな感じ。
そこで、貞信公(藤原忠平)の人となりを見てみよう。
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藤原氏中興の祖の一人として、後世子孫により重んじられた。
醍醐天皇の代、兄時平の遺業を継いで『延喜格式』を完成させる。日記『貞信公記』がある。『大鏡』は紫宸殿の辺で鬼を追い払ったとの逸話を載せ、豪胆ぶりがうかがわれる。後撰集初出。勅撰入集は13首。
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ほうほう。「藤原氏中興の祖の一人」なわけやね。なるほど。
藤原定家(百人一首を選んだ人)が、めっちゃこの人が好きやったんちゃう?
<定家、小倉山にて。百人一首を選んでいる>
定家「貞信公様・・・俺のあこがれの人やねんけど、
この人、政治的な歌ばっかりやねんなぁ・・・。
う〜ん。・・・ん?小倉山?これええやん。
歌はいまいちやけど、ここ小倉山やしな。
よしッ!タイトルも決定!『小倉百人一首』
貞信公命!!」
そんな感じ。
タイトルまでになったら、ご先祖様も喜んでるやろう。ねぇ。
よしよし。
※重ねて言いますが、この連載は、私が手元の少ない資料を元に、勝手に斬っていますよ。人生の一大事では使わないでね。(例:古文好きの女性をくどく時とか。多分こてんぱんにされますよ。)
(現代語訳は、旺文社 古語辞典[改訂新版]から、貞信公の略歴については、Webサイト「やまとうたhttp://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/」さんから引用しました。)
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