『黒木陽子の百人一首を斬る!』
(略して『陽子の百人斬り!』)

【第二十五回】

【原文】
名にし負はば 逢坂山の さねかづら
人に知られで くるよしもがな
[三条右大臣]

【読み】
(なにしおはばあふさかやまのさねかづら
 ひとにしられで くるよしもがな)

【通釈】
逢う坂という逢坂山、いっしょに寝るというさねかづら。その逢坂山のさねかづらよ、そんな名前を持つのだからかづらをたどるように、こっそりあの人のもとへ逢いに行く手はずを教えてほしいものだ。

【斬り!】
お久しぶりです。先週、本番前の忙しさに、さらにいろいろ重なって、飛ばしてしまいました。
『黒木先生はご病気のため今月号の連載をお休みいたします・・・』状態になってしまいました。ごめんなさい。

さあ!一ヶ月ぶりの百人斬り!が〜んば〜るぞ〜。

さて。
さねかづら・・・ほうほう、これね。知ってるわ。これってサネカヅラって言うんや。インターネットって便利やね。
多分、みなさんも見た事があると思います。
これ↓



画像を貼った意味はほぼ無し。
え〜。この、三条右大臣というのは、仕事もばりばりできて、女に人気もありっちゅう人だったそうです。本名藤原定方。三条に屋敷があって、右大臣になったから三条右大臣。ちなみに、「家庭科の女ふたり」は、登場人物の名前を適当に百人一首からとったのですが、朝平さんが演じた「三条街子」というのは、ここからとったのです。(ふ〜ん。どうでもいいや。)

でもちょっと待った!よく考えてみて。
三条に住んでいる右大臣が、逢坂山のサネカヅラに、夜這指南。
そもそも、逢坂山というのは・・・
「先生!それ、第十回の歌で斬ってましたよね?今の、山科(京都の次に新快速がとまる駅。)あたりですよね!」
そう!よくできたわね。正解よ!(なんのこっちゃ)
三条から山科へ。みんな、何か気づかない?
・・・ハッ。

京都市民ならお分かりだろう。
そう、京都市営地下鉄東西線(※)は、別名「さねかづら路線」といい、1100年前から逢坂山のサネカヅラ界では、計画の構想が練られていたのだ!今でも、車内からよく目を凝らすと、トンネル内はびっしりとサネカヅラがぶら下がっており、あれは自動運転ではなく、全部サネカヅラがよいしょよいしょ、と電車を動かしていたのだ!
今明かされた衝撃の事実。
ががーん。

そうだったのか!!

三条右大臣がてきと〜にひょろひょろっと詠んだ美しいこの歌が、チームサネカヅラのハートをギュギュっとつかんでしまったのだった!

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三条「サネカヅラよ・・・こっそり逢いに行く手はずを教えてほしいものだ・・」

サネカヅラ1「まぁ・・・右大臣様ったら・・・」
サネカヅラ2「来てもらうまでもないわ!こっそりは、私たちの十八番よ!」
サネカヅラ3「みんな!こっそり逢いに行くわよ!」
サネカヅラ4「お〜!」

脳みそが無いサネカヅラは勘違いしまくって、地中を掘り進んで行くのであった。
そして時は流れ流れて1100年・・・

頑張ったんだね、サネカヅラ。
山科区民も喜んでいるよ。
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まぁ、そんな感じの歌です。

みなさんも、今度京都に来て、地下鉄に乗る事があれば、車窓を覗いてみて下さい。
サネカヅラのせつない恋心に触れる事ができるはず。

それでは、また再来週〜。
ふぅ。ようやく四分の1まで来たね〜。あと75首か。


※【京都市営地下鉄東西線】(京都市交通局ひろばから引用)
平成9年10月12日、平安建都1200年の記念行事一環として進められていた地下鉄東西線二条〜醍醐間12.9kmが開通した。同時に地上を走っていた京阪京津線は御陵〜京津三条間を廃止、同日より御陵〜京都市役所前間の地下鉄線片乗り入れを開始した。また平成16年11月26日には醍醐〜六地蔵間を延伸した。
全線コンクリート道床,架線電圧は1500V,軌間は1435mm。信号はATCによる車内信号方式。東西線の特徴はATOによる全線ワンマン自動運転及びそれに伴う各駅ホームドア設置で、烏丸線とは一線を画している。また駅毎のステーションカラーも設けられている。
 車両は東西線列車が16m車6連の市交50系,京津線列車は16.5m車4連の800型を使用している。二条より西進し、天神川までのルートについても建設中である。

(現代語訳は、Webサイト「小倉百人一首」さんから引用しました。)

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