『黒木陽子の百人一首を斬る!』
(略して『陽子の百人斬り!』)
【第二十四回】
【原文】
このたびは 幣もとりあへず 手向山
紅葉の錦 神のまにまに
[管家]
【読み】
(このたびはぬさもとりあえずたむけやま
もみぢのにしきかみのまにまに)
【通釈】
このたびの旅は、紅葉の景色の美しさのために幣を捧げることもできず、まずこの手向け山の紅葉の錦を、私がたむける幣としますので、神の御心のままにお受け下さいますように。
【斬り!】
まにまに。
ってなんだ。
まあそれはいいとして。
《幣(ぬさ)》と《とりあへず》が、わからなければ、この歌はわかりません。多分。
説明しよう!(偉そう。自分だって参考書丸写しのくせに。)
《幣(ぬさ)》 ・・・神に捧げる供物で、絹や布などの織物をいう。旅行の時には道の各所に祭られている道の神、道祖神に旅行の安全を祈り幣を捧げる。その際、このころは錦や絹・麻、あるいは紙を細かく切って、幣袋にいれて携行し、これを神前にまき散らした。
ほうほう。なるほど。
旅の途中で、紙吹雪みたいなものを道中にまき散らしてたわけやね。
《とりあへず》・・・取って捧げることができなく。
ほうほう。なるほど。
「とりあへず」って、現代の「とりあえず、ビール」の「とりあえず」じゃ無いわけね。
取って捧げられない。のね。それはなんでか。
紅葉があんまりにも美しすぎて。
*************
奈良への徒歩旅行ロケ。安田大サーカス一行は、ベタ〜に道中祈願をとり行うことに。
団長:「ダンダンダン♪ベタベッタ・・・っておい!クロちゃん!紙吹雪は?!」
クロ:「団長!できません!」
団長:「なんでや!」
クロ:「だって・・見て下さい!」
団長:「ハッ!」
(団長、見上げると、辺り一面は紅く染まったもみじやらの葉っぱが、はらはらと舞っている)
団長:「そやな・・・こんなキレイなところに、紙吹雪をまきちらしてもしょうがないなぁ・・。」
クロ:「神様!これを僕達からのプレゼントとして受け取って下さい!」
団長:「お願いします!」
ヒロ:「ごはん。」
団長:「・・・・ダンダンダン♪まにまに!」
一同:「ダダンダダン♪まにま〜! 」
「ダンダンダン♪まにまに!」
「ダダンダダン♪まにま〜! 」
一行はそう叫びながら、山道を行く。辛かった修業時代。そしてやって来たお笑いブーム。その妬み。それらも何もかも越え、その姿は美しく、観るものを清々しくさせる。さながら神輿の巡礼の様である。
そして紅葉は、ただ彼らの上に舞い散るのであった。
安田大サーカスよどこへ行く。今日も明日も明後日も。
ねえ、この連載が終わった時、お笑いブームはどうなっているの?
こんな文章書いて大丈夫なの?
だって《幣》をまき散らすところを想像したら、
安田大サーカスしか出てこなかったんやもん。
ガンバッテよ安田大サーカス。私の為に。
染之助染太郎さんみたいに、永遠の芸人になってよ。
ねえ。
****************
そんな感じです。
「安田大サーカス」か・・・そんなに好きでも無いのにな。
ヒロ君なんて、喋っている声思い出せないよ。
(だからいい加減なんやね。)
安田大サーカスファンの皆様。ごめんなさい。
いや、でもいい歌やと思います。
(どんなフォローや。)
桜が舞い散るのは悲しい感じですが、
紅葉が舞い散るのは、神様に通じるんですなぁ。
私が大好きな一首、「ちはやぶる神代も聞かず龍田川・・・」もそんな感じやったしね。
こうパレードチックにまき散らすより、紅葉がハラハラと落ちてくのを見ていたい。
それが秋。神様ありがとう。
そう。そうなのね。
まにまに!
(現代語訳・語釈は、旺文社 古語辞典[改訂新版]から引用しました。) |