『黒木陽子の百人一首を斬る!』
(略して『陽子の百人斬り!』)

【第十九回】

【原文】
難波潟 短き蘆の 節の間も
逢はでこの世を 過ぐしてよとや
[伊勢]

【読み】
(なにわがたみじかきあしのふしのまも
あわでこのよをすぐしてよとや)

【通釈】
難波潟に生えている蘆の短い節と節との間のような、わずかな短い間でさえもあなたにお逢いしないで、私にこの世を過ごしてしまいなさいとおっしゃるのですか。

【斬り!】
演歌。演歌だね。

八代亜紀の『愛の終着駅』という歌の出だしはこんな感じ。

寒い夜汽車で膝を立てながら
書いたあなたのこの手紙
文字の乱れは線路の軋み
愛の迷いじゃないですか

ふうう〜。
寒い夜汽車なんて乗ったこと無いくせに。
つまり、この歌はそんな感じ。


寒い難波潟ひとりさまようの
あんたに逢いたい
泪目にうつる蘆
短い節の間でもいい
それさえ許されないと
そう言うのですか

その当時は「荒涼とした土地」というイメージが一般的だった
“難波潟”を歌うことで、相手の心をぐっと演歌チックにさせ、
「私をそんな寒々しい心のまま放っておくのですか?」
と、いわば脅迫にも近い疑問を投げかけるのだ!!

ちょっとひいちゃうよね。
資料を読むと、彼女は「宇多天皇の寵愛を受け・・・」って書いているので、
この歌、実のところは、
カラオケで「演歌歌っちゃいました」みたいな感じで歌ったのではないでしょうか。
あるいは、ホステスさんがカラオケでバラードを歌う、みたいな。
私、影もあるのよ、みたいな。

そんな感じがいたします。

 


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