『黒木陽子の百人一首を斬る!』
(略して『陽子の百人斬り!』)

【第八回】

我が庵は 都の辰巳 しかぞすむ
世をうぢ山と 人はいふなり
[喜撰法師]

●読み
(わがいおはみやこのたつみしかぞすむ
よをうじやまとひとはいうなり)

●意味
私の庵は都の東南にあり、このように心静かに住んでいる。しかし、人々はここを、この世を辛いと言って遁れて住む宇治山だ、と言っているよ。

はい。また出てきましたね。庵。珠光の庵。来週愛媛です。
それはさておき。

意味だけを読んでみますと・・・・
「負け惜しみくさ〜」と、皆さん思われるかと存じます。

弟嫁「おねえさん、いつまでも意地はってこんな田舎にひっこんどらんと、一緒に都会で暮らしましょ」
義姉「フン。わたしゃ、この土地で静かに暮らしとるのん。ほっといて」
弟嫁「もう〜。頑固なんだから」

こんな感じ。
はい、しかし、原文のここに注目。

「都の『辰巳 しか』ぞすむ」

はい。辰巳、は東南ですね。辰巳ときたら、次は午(うま)です。
ところがこの歌では、午を『しか』という。
馬を鹿、つまり、馬っ鹿や〜ん

おおすごい。黒木さんは斬っているうちに、こんなに鋭いまなざしを古典に向けられるようになったのか。と、驚かれている諸子もおられると思います。
もちろん。

なっておりませ〜ん。

正直に申しますと、この馬鹿の読みとき方は、「田辺聖子の百人一首」に書いておったのです。
ちゃんちゃん。

ハイ。ビバ!ピンクのレースフリフリ田辺聖子さん!彼女のおかげで、この歌はどう読めばよいのか、皆さんもおわかりかと思います。

弟嫁「おねえさん、いつまでも意地はってこんな田舎にひっこんどらんと、一緒に都会で暮らしましょ」
義姉「我がいおは都の辰巳・・・」
弟嫁「え?・・・辰巳〜ときたら?午?」
義姉「阿呆が見〜る豚のケ〜ツ。やーい。ひっかかった。♪バ〜カが引っかかる〜しっかぞすむ〜♪余を牛山と人はいうなり〜♪」
男「牛山さ〜ん。宅配便です〜」
義姉「はいはい〜。今はネット通販で何でも手に入るから便利至極でござるよ〜。へへへ〜んだ。これだから、パソコン使えない世代は困り果てりでござ〜る。」
弟嫁「くっ・・・。」
義姉「午に角が生えて牛山!牛山恭子とは、あちきのことさぁ!」
弟嫁「おねえさま!ま、また来ます!(走り去る)」
弟姉「おとといくるがいいさ!ホホホホ。あ〜。孫娘とテレビ電話で話そうかね〜。ホーホッホッホッホ」
=END=

なんのこっちゃ。
ただ、孫がいる世代は存外パソコンに強い、というのが私の(狭い世界での)見解でございます。はざま世代の方、心して下さい。(ってその世代の人は、このコーナーを見てないか。)

さて次回は・・・
【第九番:花の色はうつりにけりないたづらに・・・】
はいッ!次回はいよいよ小町ちゃんです!女性を苦しめ続けるこの歌、憎い!
が〜んば〜るぞ〜。

(現代語訳は、中央図書「古典の学習【小倉百人一首】」宗政五十緒著」から引用しました/他参考文献:角川文庫「田辺聖子の小倉百人一首(上)」田辺聖子著)

 

そんな黒木陽子が出演するのは・・


 

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