(3)根本コースケ×首藤慎二
6月某日 鴨川沿いの公園にて
<根本コースケ プロフィール>
2000年5月〜2002年5月、劇団衛星に在籍。制作・役者として活動。
2001年4月〜2004年11月、ニットキャップシアターにも在籍。
2002年10月、ベビー・ピーを旗揚げ。以後、脚本、演出、役者としてほぼ全ての公演に参加。
外部出演も多数あり、2014年には劇団どくんごの全国ツアーに参加した。
衛星に入った経緯を教えて下さい
根本:僕は、2000年に京都大学に入学したんですけど。小中高とサッカーをしてて…、まぁ、大学入っても何となくサッカーをするのかなと思いながら。でも今更サッカーをするのもなぁと、悶々と4月を過ごしていて。で、なんだろ、サッカーサークルの見学とかに行けば良かったんだけど…。
首藤:ちなみに僕は行ったけど。
根本:高校の部活を引退するときに、スパイクを後輩にあげちゃったんだよね。
首藤:ああ。
根本:僕は出身が千葉県で、関東の大学に行くって道もあったはずなんだけど、なぜか、何となく京都だろう、京大だろうっていう(想いで来た)。それは自分の中ではっきりと理由があったわけではないけど、何かそっちに行った方が面白そうだって感覚があって。何か面白いものをここで発見しなければいけないみたいな気持ちが多分あったんだ。
首藤:うんうんうん。
根本:高校の時に文化祭で、クラスの出し物で演劇をするみたいな伝統があって。祭り好きな学校だったんだよね。公立なんだけど、自主自律っていうのが校則みたいな。
首藤:うんうん。
根本:最近その…東葛飾高校出身の演劇人がすごい多いっていうのがわかった。
首藤:あのー…あれよね。東京デスロックの多田さんとか?
根本:時間堂のプロデューサーの大森さんとか。一番上では流山児先輩。
首藤:流山児先輩もすごい…。
根本:あとまぁ、音楽の世界では、爆風スランプのサンプラザ中野くんとパッパラー。
首藤:ああ。輩出してるねー。
根本:それは昔から有名で。この間、KAAT(神奈川芸術劇場)でやってた、多田淳之介原案・岩井秀人演出・快快出演の『再生』を観たんですけど、それを観ながら、東葛魂ってあるんだなぁって…(思った)。
首藤:東葛魂!
根本:そう。シンプルにベタなことを開き直ってやるとか言っちゃうみたいな。「走るー走るー俺たちー」みたいなことを、恥ずかしいことを開き直って叫ぶ!みたいな(笑)
首藤:そういう魂は、東葛飾高校に在籍した人たちには、まぁなんか血肉となってる。という?
根本:そしてまぁ、大学に入った後にそれぞれの出会いがあって、それだけじゃやっぱり世間には届かないんだってことを知りながら、じゃあ、どうやったらそれが伝わるのかっていうのを考えて、おのおの一線までのぼり詰めた人達なんだなっていうふうに思った。
首藤:うーん。うん。なるほどなるほど。
根本:そこで、文化祭で演劇をやったって記憶があって。じゃあ演劇をやってみよう。とGW明けに思ったわけですよ。
首藤:思い立って。
根本:うん。で、いくつか芝居を観に行って。その中で、劇団衛星が5月の真ん中くらいに、アートコンプレックス1928で『千年王国の避難訓練』(※1)っていうお芝居の初演をしてて。
首藤:うん。
根本:それが非常に面白かった。のちのち僕が入ることになるニットキャップシアターっていうのは、僕にとって知らないことを教えてくれた場所だったんだけど…。
首藤:うんうんうん。
根本:衛星の『千年王国の避難訓練』は、もう少し、東葛魂にかなり通じるっていうか、その延長線上の昇華された形のようなものがあった。で、めちゃくちゃかっこよかったのね。
首藤:かっこよかったっていうのは、その俳優が、かっこいい演技をしてた?
根本:まぁ、そうだね。一人一人がかっこよかった。『千年王国の避難訓練』っていうのは、うんこの話なんだけど。
首藤:はぁはぁはぁ。
根本:人類がうんことどう付き合うかっていう話なんだけど笑
首藤:笑
根本:最後のセリフが、「ケツは自分で拭くもんだ」っていう。トイレットペーパーを手に巻き付けて進むべき方向を、岡嶋(秀昭)さん(※2)が指さすっていうので終わる。
首藤:あー。
根本:それが、自分が求めてたものに直に響いて、ここしかないって思って連絡をして。
首藤:あ、自分から連絡を?
根本:そうそう。入りたいんですっていう電話をして。そしたら毎週水曜日に、当時衛星は、ブンピカ(京都大学文学部学生控室)でカフェ(※劇団衛星のミーティングのこと)をしてたわけですよ。「水曜日にカフェをしているので、そこに来てください」って言われて。
首藤:当時からカフェっていう名前で…?(※劇団衛星ではミーティングのことを「カフェ」と呼ぶ。)
根本:そそそ。で、そこに言われた日に行って。「ブンピカの場所がわかりづらいんでその東館のロータリーまで来たら電話してください」って言われて、電話したら奥田ワレタさん(※3)が迎えに出てきてくれて。それが一番最初。
首藤:なるほど。
根本:その当時いた衛星のメンバーは…、今でもだけど、蓮行さんとかは僕と年齢差が7つ8つあるんですけど。そのことにはビックリしたっていうか笑。そんなに年上の人達だって思ってなかったんだ。入ってみたら、この表現のかっこよさが創れているのは、ものすごい積み重ねてきた人達だからなんだって、また別の衝撃を受けた。気持ちがあればその差は簡単に埋まるって思ってたんだけど…。入口までは入ってしまったんだけど、入った瞬間にこんなに自分と離れた人達なのかって。
首藤:そこのギャップというか、にまずびっくりして…?
根本:それはそれでガーンとして。でまぁ、その中で2〜3か月くらいは悶々としていた。
劇団衛星とニットキャップシアター
根本:6月に学校公演があって。それの稽古に毎日いて、ピンスポ係をやったりした。
首藤:へー!
根本:それが、花背中学校っていうところで『夏の夜の夢』の贋作をやったんですけど…。
首藤:あ、もうその贋作シリーズみたいなのがあったんだ…?
根本:蓮行さんがむかーしに書いた戯曲の再演で。その稽古を見ていて、演劇を触れたっていうかさ。
首藤:というと?
根本:衛星の作品って、語弊があるかもしれないけど、テキストだけ読んでも面白さがわかりづらいと思うんだけど。衛星のテキスト…、その当時は「リリック」って呼んでたけど、今でも言ってる?
首藤:今でも「リリック」って言ってる。(※劇団衛星では、台本のことを「リリック」と呼ぶ。)
根本:うん、言ってるよね。(衛星のリリックは)当時の自分にとっては、文字づらを見ただけではわからなかったんだけど。それが稽古の中で、こんな可能性を秘めていたのかというか、この言葉をこんな風にできるんだ、みたいなのを見たりとかして。
首藤:うんうんうん。
根本:7月の末に、『アカペラ衛星』(※4)っていうイベントがあって。それには初めてちょっとだけ役者として出た。それが京都での初舞台。そのイベントにはゲストで、例えばニットキャップシアターが出てて。打ち上げを、京大のA号館(の教室)でしたんだけど。
首藤:懐かしいなぁ。
根本:そこで板橋(薔薇之介)さんとか大木湖南さんとか(※5)と初めてしゃべって、繋がりが出来た。後々、「君らは、衛星にいただけじゃ、そんなすぐに役者としては立てないから、どっか外へ行って修行して来い」って言われた時に、どうせ行くなら面白い芝居をやってるところに行きたいって思ったから、板橋さんに出たいんですけどって言って。それがニットキャップシアターに入ったキッカケなんだけど。
首藤:あ、え?じゃあ衛星にいた期間としては、数ヶ月間とかになるの?
根本:いや、もう少し。その7月の『アカペラ衛星』には、アカペラサークルの「クレイジークレフ」(※6)も出ていて。蓮行さんもアニソンを歌ったり自分の歌を歌ったりとかしてた。そのアカペラサークルに、実は門脇(俊輔)さん(※7)も参加してて。そんな繋がりがあった。
7月にそれがあって、10月に『どんぐり森のうたたねの木』(※8)っていう公演があって、それに僕は役者で出た。新入団員がその時3人いて、根本と、岡本(賢吾)くん(※9)っていう…京大の工学部の、僕と同じ年だった子がいて、あと大庭佑子さん(※10)。3人が同期、衛星の劇団員で。
首藤:ふーん。はああ。
根本:で、「ねもっきゅう」「おかもっきゅう」「おおばっきゅう」って、あだ名をつけられた。
首藤:それも蓮行さんが。(※蓮行さんはたいてい、新入メンバーには新しいあだ名をつける。)
根本:そうそう。今でも僕はTwitterアカウントなどで使ってる笑。ポップでキャッチーなネーミング。
首藤:ああ。うん。今もね。
根本:その時の僕ら(根本・岡本)は、無生物みたいな…森の中のしゃべれない2人みたいな役で。「ああ、ああ」しかセリフがなくて。
首藤:ああ。
根本:動きも決まってて、手の動きもこうしか動いちゃいけないって。
首藤:そこ指定があるんや。
根本:「ああ、ああ」ってやる中でのコミュニケーションを集中してやって。「ああ」だけでもコミュニケーションできるんだって笑
首藤:ふふふふ笑
根本:感情表現って「ああ」でもできるんだ、みたいな。そんな感覚が自分の中ではすごいあった。大きな体験だったね。
首藤:はあーん。
根本:で、12月に『脳天気番長演劇祭』(※11)っていうのがあって。今の京都劇場(当時は「シアター1200」)での公演だったんだけど。その後、衛星の公演が次は7月(※12)までなかったから、その期間に「ちょっとみんなそれぞれ散らばれ」みたいな話になって。僕はニットキャップシアターに行った。ニットキャップシアターの公演が3月にあったんだけど、「出させてください」って言って出させてもらって、それが終わった段階で…(ニットキャップシアターに入った)。
ニットキャップシアターはまた衛星とは別のね、(魅力があった)。衛星は、自分が知ってる世界をめちゃくちゃ昇華させていった、突き詰めていった姿だって思って、そこにほれ込んで自分は入ったし、活動してたつもりなんだけど。ニットキャップシアターっていうのは、自分が知らなかったものを持ってた。
表現は、衛星に比べて未熟なところが多分当時はたくさんあったんだけど、これは自分の知らないすごいものをやっているっていう感覚があって、そこに非常に惹かれる部分があった。出演してる中で、そういう面白さがあるんだな、こういうものもあるんだなっていう風なものを教えてもらった。で、終わった段階で、「今、男の役者が少ないから、先々のことも含めて入ってみないか」っていう風に誘われ…。そこから1年半くらいは、衛星にもいたしニットキャップシアターにもいたっていう。二つに在籍してた時代があった。
首藤:ニットにも?
根本:ニットキャップシアターに劇団員として入った。衛星は衛星で、制作(体制)がしっかりとしてて、その活動が面白かったし、(衛星の)役者に惚れてしまった部分てのはあったから、この人達が世に出てかないのはおかしいだろうみたいな気持ちになったんだよね。(制作の仕事を)それはそれでやりたい気持ちがあって、でも自分は役者として何とかそこにねじり寄っていくようなことができないとそれも嫌で。どっちも必要だって思い…。だから衛星では、その時点では役者としては結構諦めちゃったというか…。
首藤:うんうん。
根本:ほんとに先の話だなっていうことにしちゃってた。でもこの人達を推し出すとか、そのために自分ができることは、あるんじゃないかって思って。プロデュースとか制作側で目一杯頑張ろうって。それで、自分は自分で舞台に立ちたいから、そのための場としてニットキャップシアターに入って鍛えてもらおうと。そうなったのが2001年の3月4月とかで。
首藤:その制作のポジションで、めっちゃお客さんを呼んだ、みたいな話を聞いたことがある。
根本:『どんぐり森…』の時とかは、役者としてはぺーぺーっすから、みたいな。だからせめて自分のできることはやらなければいけないって思って、チケットの手売り頑張ろうって笑。
首藤:うんうんうん。すごいわかりやすい。
根本:だから、その5〜60枚くらいは売ろうみたいな感じで。
首藤:で、二足の草鞋というか両方で、衛星ではまぁ制作として、ニットは役者として、両輪でやりつつ、どっちもやっていってて…。
根本:そうだね。で、最終的に衛星を辞めますって言ったのが、2002年の5月とか6月とか。
首藤:13年前の今ぐらい。
根本:うん。衛星に在籍してたのは、2年ちょいぐらい。
首藤:ふんふんふん。
根本:ニットキャップシアターに入りますって言って、その年の9月に『千年王国の避難訓練』の再演(※13)をしたんだよね、アトリエ劇研でロングランで。その時に、衛星の二軍だった劇団星衛(※14)でも『千年…』の男バージョンと女バージョンの2バージョンを作って、あとは衛星の一軍バージョンっていう、3つの作品の同時上演。っていうか、衛星公演の合間に、星衛の男バージョン女バージョンが挟まるみたいなプログラムだったんだけど。
それぞれ男7人女1人の芝居(女バージョンは女7人男1人)で。そもそも劇団員だけでは足りない作品だったし、当時は入ってきた人もすぐ辞めていなくなっちゃうみたいな状況だったから、色々な人を募った。…その頃に入ってきたのが(中西)彦助(※15)とか紙本さんとかだったね。
首藤:ああああ。なるほど。
根本:それに出た経験っていうのも、自分の役者歴の中ではすごい大きかった。『どんぐり森…』にしても、そのあとのニットの作品とかも、あてがき(※その役を演じる俳優をあらかじめ決めててから書かれた脚本)だったんだけど、『千年…』に関しては(違って)。岡本タダシさん(※16)っていう、ものすごい怪優がいたんだけどね、その人の役をやることになったんだ。自分と全然距離のある人を前提にして立ち上げられた役に、自分がどう近づいていくか。近づこうとすることで自分の属性がわかるみたいなことがあったりとか。
稽古の中盤で、出る予定だった人がいなくなるということがあって、また役が欠けてどうするんだ?みたいな時に現れたのが中西彦助で、それがとにかくすごい気持ち悪いやつだった。距離感がおかしくって笑。間近に寄ってくるみたいな。ヤバイ!コイツは…みたいに思って笑。
首藤:ははは笑
根本:その爆発力っていうか。ロックな感じで、上手くなくても伝わることがあるって思った。当時、萎縮してた部分が自分にはあったから。
高校時代はそうじゃなかったわけですよ、自分の中でもイケてる面白いってのがあって。でも、衛星に入ったらそこから先の差に愕然として、ビビッてしまって何もできなくて。更に同時期に、劇団ケッペキ(※17)の子らとも仲良くなると、ケッペキの人達はどんどん舞台を踏んでて。「くそー。俺の方が意識は高いのに!アイツらの方が上手いのかもしれない」みたいな。舞台に立つとかセリフをしゃべることにすごいビビってしまって…。
『千年…』の二軍で参加する中で他の人を見ながら、意識が変わった。紙本さんもそれが初舞台だった。自分の後から来た人達の、わずかな差だけど、自分より下手くそだなとか俺の方が芝居わかってるって思ってたけど、わかってないのにコイツら戦えてるってハっとした部分があって。「いかんいかん。そうだそうだ。俺は何で演劇を始めたんだ」という風に思えた、そこで。
そんな2001年があって、2002年の2月くらいに(ニットキャップシアターで)『ごまのやど』っていうコント集をやったんだけど、そこで初めてガッチリと自分のために書かれた役をもらった。短いコントなんだけど、3ヶ月〜4ヶ月の稽古でドロドロになりながらやるみたいな笑
首藤:ああ笑
根本:ずっと地獄のような時間を過ごすって事をして笑。その後、ニットキャップシアターは、次の冬から1年間同じテーマで芝居を作っていこうと(していた)。劇団的にも期が熟してきて人も育ってきた時期で、ここで勝負をかけたいと思うんだっていう話をごまのはえ(※18)がしてて。それが「スローライフシリーズ」っていう枠で、年間で5本お芝居をするっていう。
首藤:僕も、『愛のテール』(※19)に初めての客演をした。忘れられない公演ですよ。
根本:それを聞いた時に、それに賭けないと…と思った。手広くやる時期はおしまいって思って、逆にこれ以上手広くやったら全ての人に迷惑かけちゃうかもって思って。そういうことなので衛星を辞めたいと思いますって言って、僕は衛星を辞めた。
劇団衛星の俳優について
首藤:その2年ちょいの在籍期間に、衛星内でこの女優さんいいなとか憧れたなとかっていう人はいた?
根本:女優さんというより…、男の役者にはみんな憧れた。
首藤:ああ。
根本:個人的な好みでは、岡嶋(秀昭)さんと岡本タダシさんは、ものすごい直球で好きだったね。
首藤:直球。
根本:駒田(大輔)さん(※20)とか蓮行さんとかチャック・O・ディーン(※21)とか田中遊さん(※22)とかも、やっぱり「ああ、すげー!」っていう風にはそれぞれ思う。でも、自分の中でどストライクなのがその二人だったっていうことは、(その後の)自分の表現に繋がってる。
首藤:今いる俳優で一番古株で言うと、黒木さんになるんかな?黒木さんとかは、どういう印象になるんですか?
根本:黒木さんとかは、もう少しなんか…なんだろう。入った当初よりは今の方がめちゃくちゃ尊敬してるというか。その頃は稽古場でもめちゃくちゃ叩かれる人だったから。まぁ、黒木さんが泣いてるところを俺はよく見てたし。
首藤:うんうん、そっかぁ。
根本:続ける中でこういうものになったかっていう、そのパワーたるやっていうか。衛星の役者は…男の役者はとにかくかっこよかったんだよね。黒木さんは、かっこよくはなかった。可憐ではなかった。そういうポジションではなかった。そういう意味ではニットキャップシアターの役者たちに対して抱いた思いに近いというか、泥臭さの中の粘り強さというか(を感じてた)。そこで終わらずに今の形になっていったっていうことにスゴイなって、今思う。
首藤:自分が入って辞めて、今に至るまでの衛星の作品で、一番好き作品はというと何になる?ベスト3でもいいよ。
根本:『千年王国の避難訓練』と『脳天気番長出馬する』(※23)はすごい好きだな。もう一つあげるとしたら…何だろうな。まぁでもあれかな、『コックピットシリーズ』(※24)かな。
コックピットシリーズは自分が辞めた後にできた作品なんだけど、初演の時はそこまで響かなくて。『2』を新風館でやった時に、「ほう」って思った。っていうか、紙本さんと黒木さんがそこで、作品の中心になってるって思って。自分はいなくなったけど、ここで集団が変わったっていうか、もう一段階先に行ったんだって感じた。
その上で、『東京駒場のコックピット』(※25)で、それには僕ら(ベビー・ピー)も出たわけだけど、『1』『2』『3』の上演をやった時に、苦しい時期を経ての力っていうか(を感じた)。自分が抜けた後に、たくさん劇団員が離れていった時期なども見てたから、その中で進んだっていうか耐えたなっていう姿を見たし。『1』もすごい面白いじゃないかって、その時に思い直した。
首藤:それがアゴラ(駒場アゴラ劇場)に1ヶ月滞在した公演…。
根本:その前に京都でもやってたんだったかな?
首藤:『第五長谷ビルのコックピット』?
根本:長谷ビルは、僕は観に行かなかった。
首藤:ふんふん。なんか大変やったっていうのは聞いたけど。で、アゴラでの公演に、ベビー・ピー(※26)で出て、僕はそこで初めて衛星の人らと出会うというか…。アゴラの宿泊場所で、お疲れモードの皆さんと会って笑。「あ、どーもー」みたいな。みんな疲れて、マスクして、みたいな。
根本:ふふふ…。
劇団衛星にメッセージを
首藤:20周年を迎えた衛星に、何かメッセージというか言葉があれば…。
根本:そうだね。20周年っていうのは、スゴイなと思いながら。僕が衛星に入った時も、衛星はもう相当な歴史を踏んできてるところだと思っていたけど。僕が衛星にいた2年間てのは、6年目〜7年目くらいってことなんですよね。
首藤:そこから13年くらい経った。
根本:そうそう。(僕は)その時期を知ってるっていうことと、辞めてしまって道は分かれたけど、間のお互いの歩みは結構知りながら、こうしてお互い演劇を続けられてるっていうことは、すごい財産だし、とても勇気づけられている。衛星が衛星のことをやってくれているから、自分はそれとはもう少し違った角度での活動を掘り下げていきたいって思えるんだろうな。まずはそこがあって、跳ね返って自分の活動があるみたいなものとして、衛星はあるから、いい感じで更に次の20年をお互い続けて、こんな風になったねって、また言えたらいいよねって思います。
首藤:うんうん
根本:ベビー・ピーも知らない間に11年やってるもんね。
首藤:ね。改めて話聞くと、そういう時代の衛星を、ねもっきゅは歩んできたんやな…。
根本:そして結構、その当時いた人が(今も現役で活動して)いるから、それは本当にすごいことだよね。重田(龍佑)さん(※27)にしても橋本(裕介)さん(※28)にしても小島(聡太)くん(※29)にしても(中西)彦助にしても、見えるところにいる。
首藤:ああ…。
根本:大庭(佑子)さんとか。駒田さんにしても筒井(加寿子)さん(※30)にしても。山本裕子さん(※31)は、その後青年団に入っていたりしてね。
宮本(統史)君(※32)って、彦助と一緒くらいに入ってきて『千年…』に出た人とかも。彼は造形大で舞台芸術学科の二期生とかだったかな。その後はフランスにダンスで留学したって話までは聞いた気がするんだけど。その子と彦助に、僕は大切な事を教えてもらった気がする。
終わり
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【註釈】
※1:『千年王国の避難訓練』
…2000年5月扇町ミュージアムスクエア(大阪)とアートコンプレックス1928(京都)にて初演。
※4:『アカペラ衛星』
…アカペラとコントの融合イベント。様々なアーティストにも出演してもらったり、衛星劇団員が自作のコントを披露したり、ステージの隣りでフリーマーケットを開催したりもした。
※5:板橋(薔薇之介)さんとか大木湖南さんとか
…当時のニットキャップシアターメンバー
※6:アカペラサークルの「クレイジークレフ」
…京都大学のアカペラサークル。1998年の『真鍮のカナリア』で生音響を担当してもらい、以来数年間、衛星作品のテーマソングなどに協力いただいた。
※7:門脇(俊輔)さん
…ニットキャップシアターのメンバー。後にNPO法人フリンジシアタープロジェクトにも所属し、一緒に活動したことも。
※8:『どんぐり森のうたたねの木』
…2000年9月〜10月、アートコンプレックス1928(京都)と神戸アートビレッジセンター(神戸)で上演。
※11:『脳天気番長演劇祭』
…2000年12月。21世紀を目前に開催した、脳天気番長シリーズ旧作3本に新作1本を加えて、一挙上演の劇団単独演劇祭。
※12:次は7月
…2001年6月末〜8月にかけて、『狂躁里見八県伝』を、アートコンプレックス1928(京都)/酒心館ホール(神戸)/HEPホール(大阪)の3会場で上演。
※13:『千年王国の避難訓練』の再演
…2001年9月、新宿タイニイアリス(東京)とアトリエ劇研(京都)で上演。初の東京公演と、京都では2週間を超えるロングラン公演をした。
※14:衛星の二軍だった劇団星衛
…明日の衛星をしょって立つ人材を育成するために、1998年9月「新人錬成の会」として発足。2000年4月「劇団星衛」に改名。初代座長は黒木陽子。2002年10月に活動終了。
※17:劇団ケッペキ
…京都大学の学生劇団。前身の「潔癖青年文化団」は蓮行が在学中に結成。
※18:ごまのはえ
…ニットキャップシアターの代表。脚本・演出家・役者。
※19:『愛のテール』
…ニットキャップシアターで2003年に初演された。第11回OMS戯曲賞大賞受賞作。
※23:『脳天気番長出馬する』
…1998年12月扇町ミュージアムスクエアで初演。以降再演を重ねる。「脳天気番長シリーズ」の第二作め。「脳天気番長シリーズ」は2002年までに4本+短編2本を創作した。
※24:『コックピットシリーズ』
…『劇団衛星のコックピット』を2003年6月初演した後、『コンセプト2』『コンセプト3』とシリーズ作品として創作。2011年から再演を開始、『コンセプト4』も創作した。
※25:『東京駒場のコックピット』
…2004年10月〜11月。衛星の「コックピットシリーズ」3部作に加え、ほかの劇団・パフォーマーの上演もした文化祭典、の東京公演。
※26:ベビー・ピー
…根本が代表を務める演劇ユニット。首藤も所属している。
※2:岡嶋(秀昭)さん
※3:奥田ワレタさん
※9:岡本(賢吾)くん
※10:大庭佑子さん
※15:中西彦助
※16:岡本タダシさん
※20:駒田(大輔)さん
※21:チャック・O・ディーン
※22:田中遊さん
※27:重田(龍佑)さん
※28:橋本(裕介)さん
※29:小島(聡太)くん
※30:筒井(加寿子)さん
※31:山本裕子さん
※32:宮本(統史)君
…根本在籍当時、劇団衛星に所属していたメンバー。皆さん、その後もそれぞれ活躍中です。