ー『珠光の庵』は宮嶋さんに支えられたと思ってます。
宮嶋:結構長く関わったねー。
ーそうですね。(黒注※2005年7月の愛媛宇和島公演から2012年佐賀公演まで、小夜役で出演)
宮嶋:お客さんがひとりかふたりの時あったよね・・
ーあったあった。会場すごくいい雰囲気のとこだったのに。ところで、珠光で記憶に残った・・辛かったり楽しかったりした思い出の土地ってあります?
宮嶋:うーん・・・。(少し考えて)一番辛かったのは、東京の茶道会館の時。何が辛かったって、風邪ひいてて。みんなでアゴラ劇場に泊まってたから・・寒かったんかなあ。
ー違います。あれね、スタッフの一人が風邪ひいてたんですよ。それで、東京までの車移動でみんなにうつったんです・・・すみません。
宮嶋:あの公演は、真の巻、行の巻、草の巻、三パターン全部上演したんだよね。
それで、声が出るんかどうかすっごく不安になって。小夜ちゃんて、開演後ずーっと出番がなくて。(和室での公演でお客さんに聞こえるので)咳払いも出来ないし。出た瞬間、声がガラガラやったらどうしようってそれが一番怖かったな。
あとはたいてい楽しかったよ。旅公演ってやっぱり楽しいね。いろいろお城も見られたし。
ーそうか、城好きでしたよね。
宮嶋:鳥取も砂丘見れたし。あれは、筒井君と首藤君と行って・・・。福島ではラーメンを速水くん(速水aztecさん)と食べたの覚えてる。そうそう、窪木くん(窪木亨さん)提案でその後有名になる浜松餃子も食べたよ。
基本的にはどの公演も楽しかったね。
ー良かったです。
<後輩の求めに応じてエアろくろをまわしてくれる宮嶋さん>
さいごに
ー(急に不安になる)こんな感じで大丈夫ですかね、インタビューって。
宮嶋:私、仕事でインタビューすることあったんだけど、そういう時って・・(いろいろと教えていただく)
ーなるほど・・・。ありがとうございます。宮嶋さんは衛星に楽しんで関わってくださっていたっていうことと、衛星初期のあれやこれやの噂話があったという感じでまとめようと思います!
宮嶋:いやでも、噂はほんまに浸透してたからね。
ーなんでしょうね。私も客演した先で昔、開場中に待ってるとき・・・雑黒一枚隔ててすぐお客さんみたいな舞台やったんですけど、パンフレットに「黒木陽子(劇団衛星)」って書かれてたのを見たんでしょうね、「劇団衛星ってあれやろ、蓮行が手当たり次第に女に手を出してるとこやろ」ってお客さんの声が聞こえてきて。
宮嶋:びっくりするくらいそれが浸透してたから。なんでってくらい。あれってわざとなんかな?
ー戦略やったんですかね?今度聞いてみます。まあ、敵を作りやすいタイプでしたしね。
宮嶋:面白かったんやけどね、まわりから見てると。
ー私なんか真剣でしたから大変でしたけど。「ええ!戦わなあかんの?仲良くしたらあかんのや!どうしよう」って。
宮嶋:言うてはるわーって。
まあそういうこと言うのが嫌いな人からは嫌われるっていう感じなんやろうね。
ー今後の衛星に向けて応援メッセージを何かひとこと。
宮嶋:基本的には応援してるし、いつまでも劇団としてやってほしいと思っています。・・・ただほら、みんなも年齢があがっているから。どんな世代になっても続けていけるようにして欲しいなーって。産休がとれる劇団みたいな。
ーいいですねえ。
宮嶋:みんなの人生が見える劇団がいいなーと思います。やっぱり20年もねえ。
ーねえ。続くもんですね。
(お子さんの声が聞こえる)
ーありがとうございました。
この後、宮嶋さんは私の個人的な人生相談から、ミニバラ剪定の相談まで乗って下さったのでした。
帰って録音したインタビューを聞き直すと、すごく助け船を出してくれているし、そういえば珠光の庵のツアー中もいろんな美容法を教えてくれたなあ・・・。宮嶋さんは、至らぬ後輩をそっと見守り、こちらから相談するとそっと知恵を授けてくれる、そんな素敵な先輩だったのでした。