(1)宮嶋ユオリ×黒木陽子
 「そうだ、先輩に会いに行こう!」ということで、私黒木は宮嶋ユオリさんにインタビューをしてまいりました。 宮嶋さんは私の衛星での初舞台である『愛と死を見つめて』に出演されたほか、『福音の廻廊』、そして『珠光の庵』の二代目小夜ちゃんとして、7年間我らと旅を共にしてくださいました。衛星の過去と現在を知っている宮嶋さん。今はかわいいお母さんになった宮嶋さん。いつだっていろいろ教えてくれた宮嶋さん。さあ、どんな話が聞けるのでしょうか!

<宮嶋ユオリさん。先輩に見えません・・。>


衛星との出会い

ー衛星のことを知ったのはいつ頃ですか?

宮嶋:衛星を知ったのは、社会人になってからやねぇ。昔、所属してたBBTの公演後に蓮行くんに話しかけられて、そこで初めて知ったかな?で、「どんなとこなんやろ」って周りに話に聞くと・・・。ちょっとそれは言えない・・。

ー言えない・・・(笑う)

宮嶋:えーと、その時誘われたのは、「アカネコ・・・?」

ー「赤べこカマトト早急便」ですね

宮嶋:そう、その時やって。私その時・・今は違うけど、その頃は裕木奈江にちょっと似てて。(黒木注※ご本人は謙遜されていますが、そう言われれば今もちょっと似ています。おきれいなんですよ、宮嶋さんは!)で、ちょうどその時、宅急便のCMを裕木奈江がやってて、その題材に使いたいからっていう・・。

ーなんか、ひどいですね。

宮嶋:あははは。で、まあそれは、スケジュールが合わなかったんやけど。お稽古とかほとんど参加できないので。じゃあ一瞬だけ出てくださいって言われて、日替わりゲストの荷物受け取る人やったかな?それで出演しました。私は髪の毛長くして、こう裕木奈江っぽくして出たっていうのが、衛星に関わった最初の舞台。 その公演では、魚森さん(黒木注※もちろん、照明家の魚森理恵さんのことですよ!)が初舞台やって聞いて、それがすごく印象に残ってますね。 で、その時の声のかかり方から「はちゃめちゃなとこやな」って思ったかな。「これこれこういう芝居でこういう人が欲しいんです」っていうんじゃなくて、似てるからっていう(笑い)

ーがっつりと出演された最初は、「愛と死を見つめて」ですよね。私、衛星初舞台でした。

宮嶋:看護婦さんの役よね。・・・変わらないねえ、黒木さんは。その時受けた印象から変わらない。

ー変わらないですか?!

宮嶋:うん、その時から大人びていたというか。落ちついた人やなっていう印象がある。なんか、そんなに齢が違うって思ってなかった。

ーいや、そんなに変わらないですよ。あーでもまあ20代前半やとねえ・・。

宮嶋:その世代は、大学入ったばかりの子と卒業した人やったら全然違うからね〜。

ー二つの公演に関わっていかがでしたか?

宮嶋:面白かったんかなあ・・・。ごちゃごちゃした中で続けるっていうのが。それまでも、バタバタした公演は経験してたけど、あくまで舞台があるところでやってて。ああいう(『赤べこ…』は京大西部講堂、『愛と死を…』は文学部控室で上演)何も無いところ、っていうか、

ー余計なものはあるし。必要なものは無い。

宮嶋:うん、アングラ感満載で・・。ああいう場所でやるっていうのが珍しくって。

ー私もそういう雑然としたところに惹かれて衛星に入ったんだと思います。

宮嶋:あの公演(『赤べこ…』)の時、途中でロックバンドとか出てたよね。

ーところで、蓮行さんのひどい噂とかは実際あったんですか?

宮嶋:それはなんかあったね。面白いくらいそういう噂があった。「女の敵」みたいな感じやった。

ー(笑う)

『福音の廻廊』〜そしてまた蓮行ウワサ話に。

宮嶋:それから、いくつか出たけど面白かったよね。教会(黒注※出町柳にある日本福音ルーテル教会です)でもやったよね・・

ーああそうだ、『福音の廻廊』がありましたね(忘れてた)。

宮嶋:あれは・・・友だちの間でもすごい批判の嵐が・・。(黒注※エッチな声が聞こえたり、女同士の濃厚なキスシーンがあったりするお芝居でした)

ー「あんな役、することないよ!」みたいな。

宮嶋:そうそう。友だちが途中で帰っちゃたんだよね。あと、「よく頑張ったね・・!(涙声)」って言われたり。

ーああ、女優さんが映画とかでアダルトな役をやった時に言われるような

宮嶋:うんうん。でもそういう感覚が、衛星にいると麻痺するっていうか。「これくらい普通ちゃうん?」みたいな。でも周りの人の反応をみると「あれ?」ってなって。わたし的には、だいぶこっちに寄せたつもりでいたから(笑)。

でもあの時、一緒に出てたおぎんちゃん(あまきぎんさん)も可愛かったから私も違和感なかったんだよね。

ーそれとは別に、あの公演も大変でした。次の日礼拝があるから遮光を毎日はずしたりしなきゃいけなかったんですよね・・・。

宮嶋:でも、そういうのも楽しかったよね。「なんかやってるなーっ」て。「ちっとも楽じゃないなーっ」て。

ーそうですよね。初めてアトリエ劇研で公演したとき「公演ってこんなに楽なの?!」って思いましたもん。

宮嶋:このまま帰っていいんだって。

ー「何もしなくてもまっ暗だぞ」って。段ボールが友だちでしたからね。(黒注※段ボールは無料で手に入るため人気の素材でした。窓を塞いだり平台の高さを合わせたり、看板をはりつけたりと大活躍だったのです。もちろん手と爪はガッサガサ。)

宮嶋:あはは。衛星が拡大するかなーという時に少し関わって、衛星の拡大期には離れたところから見ていて、また縮小して珠光の庵でふたたびご一緒するんだよね。

『珠光の庵』で共に旅へ。

ー『珠光の庵』は宮嶋さんに支えられたと思ってます。

宮嶋:結構長く関わったねー。

ーそうですね。(黒注※2005年7月の愛媛宇和島公演から2012年佐賀公演まで、小夜役で出演)

宮嶋:お客さんがひとりかふたりの時あったよね・・

ーあったあった。会場すごくいい雰囲気のとこだったのに。ところで、珠光で記憶に残った・・辛かったり楽しかったりした思い出の土地ってあります?

宮嶋:うーん・・・。(少し考えて)一番辛かったのは、東京の茶道会館の時。何が辛かったって、風邪ひいてて。みんなでアゴラ劇場に泊まってたから・・寒かったんかなあ。

ー違います。あれね、スタッフの一人が風邪ひいてたんですよ。それで、東京までの車移動でみんなにうつったんです・・・すみません。

宮嶋:あの公演は、真の巻、行の巻、草の巻、三パターン全部上演したんだよね。

それで、声が出るんかどうかすっごく不安になって。小夜ちゃんて、開演後ずーっと出番がなくて。(和室での公演でお客さんに聞こえるので)咳払いも出来ないし。出た瞬間、声がガラガラやったらどうしようってそれが一番怖かったな。

あとはたいてい楽しかったよ。旅公演ってやっぱり楽しいね。いろいろお城も見られたし。

ーそうか、城好きでしたよね。

宮嶋:鳥取も砂丘見れたし。あれは、筒井君と首藤君と行って・・・。福島ではラーメンを速水くん(速水aztecさん)と食べたの覚えてる。そうそう、窪木くん(窪木亨さん)提案でその後有名になる浜松餃子も食べたよ。

基本的にはどの公演も楽しかったね。

ー良かったです。

<後輩の求めに応じてエアろくろをまわしてくれる宮嶋さん>


さいごに

ー(急に不安になる)こんな感じで大丈夫ですかね、インタビューって。

宮嶋:私、仕事でインタビューすることあったんだけど、そういう時って・・(いろいろと教えていただく)

ーなるほど・・・。ありがとうございます。宮嶋さんは衛星に楽しんで関わってくださっていたっていうことと、衛星初期のあれやこれやの噂話があったという感じでまとめようと思います!

宮嶋:いやでも、噂はほんまに浸透してたからね。

ーなんでしょうね。私も客演した先で昔、開場中に待ってるとき・・・雑黒一枚隔ててすぐお客さんみたいな舞台やったんですけど、パンフレットに「黒木陽子(劇団衛星)」って書かれてたのを見たんでしょうね、「劇団衛星ってあれやろ、蓮行が手当たり次第に女に手を出してるとこやろ」ってお客さんの声が聞こえてきて。

宮嶋:びっくりするくらいそれが浸透してたから。なんでってくらい。あれってわざとなんかな?

ー戦略やったんですかね?今度聞いてみます。まあ、敵を作りやすいタイプでしたしね。

宮嶋:面白かったんやけどね、まわりから見てると。

ー私なんか真剣でしたから大変でしたけど。「ええ!戦わなあかんの?仲良くしたらあかんのや!どうしよう」って。

宮嶋:言うてはるわーって。

まあそういうこと言うのが嫌いな人からは嫌われるっていう感じなんやろうね。

ー今後の衛星に向けて応援メッセージを何かひとこと。

宮嶋:基本的には応援してるし、いつまでも劇団としてやってほしいと思っています。・・・ただほら、みんなも年齢があがっているから。どんな世代になっても続けていけるようにして欲しいなーって。産休がとれる劇団みたいな。

ーいいですねえ。

宮嶋:みんなの人生が見える劇団がいいなーと思います。やっぱり20年もねえ。

ーねえ。続くもんですね。

(お子さんの声が聞こえる)

ーありがとうございました。

この後、宮嶋さんは私の個人的な人生相談から、ミニバラ剪定の相談まで乗って下さったのでした。 帰って録音したインタビューを聞き直すと、すごく助け船を出してくれているし、そういえば珠光の庵のツアー中もいろんな美容法を教えてくれたなあ・・・。宮嶋さんは、至らぬ後輩をそっと見守り、こちらから相談するとそっと知恵を授けてくれる、そんな素敵な先輩だったのでした。